■2025-06-23(月)微妙な演奏速度調整

一昨日のクラスタフリーコンサートで、技術的に

気になったこととして、演奏速度がある。

豊島さんが、いつもより、わずかに速度を落とした演奏で、

実に味わい深い演奏となっていた。

一方、木村さんは、ピーターフィンガーさんの曲を

今一度、オリジナルを追ってみる、とのことで、

いつもより、速いスピードで演奏(と自分は感じた)し、

演奏の質としては、やっぱり「無理した感じ」と感じた。

 

この微妙な速度の変化を自分では、

どうだろうか、と試してみたくなった。

 

ということで、アップテンポの曲を選んで、

「いつもより、ちょっとだけ速く」 

「いつもより、ちょっとだけ遅く」

という演奏をしてみた。

 

速い方は明確だった。

ある速度を超えたとたんに演奏の質がガタ落ちする。

指が回らなくなるのか、頭が回らなくなるのか

両方かもしれないが、とにかくそういう

デッドラインがある、ということがわかる。

 

ただ、それと同時に、

「自分の限界スピード近くの演奏では、

  充実感、達成感みたいなものを感じられる」

ということも感じた。たぶん、

自分の限界から、ちょっと超えたくらいが、

一番この快感は高そうに思える。

 

以上から思うのは、

「この曲の、この気持ちよさを伝えたい」

とかで、テンポの速い曲をやるときは、

オーバーペースにならないように、よほど

注意していないと危ない、ということだろう。

 

遅くする方は、それが逆になる、ということだ。

「速く弾く快感」というのは、感じられない方向。

演奏的には優しくなる方向なので、

余裕を持った演奏にできるだろう。

一方で、それゆえ、緊張感が保てない、ということに

なるかもしれない。要するに、

「速さではない、表現すべきもの」

をきちんと頭において演奏することが

ポイントになるのだろうな、と思う。

 

それと、ちょっと意外だったのは、

「少し遅い演奏」で、いきなり弾けなくなる

ときもある、ということ。

「気持ち悪い、遅さ加減」というのが、

あるように思える。

そういうペースだと、いつのまにか、

速度が走って、自分の好きな速度に

なってしまう。

 

これを、メトロノームを使って、

敢えてその速度をキープする、

というのは、

「結構いい練習だ」と理由はわからないのに

感じている。

 

以上、こういったことを考えたので、

また、ちょっとメトロノームを使った

演奏をやろうかな。

  

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