■2022-05-13(金)日記を続けるには

自分は日記を続けられたことはない。

小学生のとき「夏休みの絵日記」

をやったが、苦行だった。

(もちろん自発的ではなく、夏休みの宿題を心配した

 親の半強制みたいな感じでやったもの)

 

しかしながら、大人になってからは、

「書くのが楽しい」と思えるようになっていて

時々、思い出したように「日記みたいなもの」

を書き初めてみては

続かなかった、みたいなことが続いている。

 

一方、手帳については、完全に継続している。

 

手帳が続くのだから、日記を続けるのも

簡単だろう、と自分で思うのだが、日記の方は、

上述のとおり、続いた試しがない。

 

何が違うのか、改めて考えてみた。

手帳は、基本事実(やろうと思っていること、やったこと)

を綴っていて、日記は、気持ち(どう思う)

みたいなことを書いているからかな、と思った。

 

つまり手帳は、特に過去のことであれば、

なにを書けばよいか、決定されている。

それを書くか書かないか、のみだ。

 

一方、日記はそもそも「なんでも書いていい」し、

「書きたいことを書けばいい」だ。

これは、逆にいうと、

「書きたいと思わなければ書かない」

ということ。

なので、それ自体に楽しさを

感じて、それが継続しないと、

続かないのだと思う。

 

以上考えてみて思ったのは、

じゃあ、日記も日誌にして、

「記録できることを書き続ける」とすれば、

とりあえず、書き続けることはできるだろう。

それで習慣化すれば、時々、書きたいこと、

を書けるようにもなりそうだ。

 

では、常に書くことは、どんなものがよいか。

例えば、「今日の夕食」とかかと思う。

この内容なら、食べたもの(事実)を書くだけなので、

迷うことなく書ける。

そこに感想の一筆くらい添えるというのも

うまいまずいくらいなら、問題ない。

そうすると習慣化できるのではなかろうか。

つまり、

「なにか簡単に書けることを決めておいて最低それだけは書く」、

というルールにすると、続けられるかもしれない。

 

やってみるか。

 

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