先週出張で、違う鞄を使ったことから、
万年筆を家においてきてしまった。
たかが万年筆、なのだが、
忘れてみると、なんとも気持ちがすぐれない。
自分にとっては重要な道具なのだな、
と、改めて気づく。。
自分にとって万年筆は、
「考える道具」だ。
自分は、考え事をするときは、
ほぼ筆記具をもっている。
それは、書いたものを後で読み返すため、
すなわち、長期の記録のため、というものではない。
確かに会議メモとかは、まさしく記録のためであり、
そのための記述も当然しているが、
その会議メモ以外のもの、
おそらく9割以上にあたるだろうが、
それらは、再利用していない。
ではなんで筆記具を持って書くのか、
というと、頭の回転(というか、使い方)
をよくするため。
自分としては、
書くのは、覚えるため、ではない。
逆で、
「覚えなければ、という思いから、解放されるため」
だ。
長く考えるときもそうだし、
複数のことを考えるときもそうだ。
考えねばならないことを、
すべて出しておこう、ということで、
複数思い浮かべるような頭の使い方のステージと、
それぞれ一つ一つを吟味する頭の使い方のステージでは、
頭の使い方が違う。
それぞれの頭の使い方のステージで、集中するためには、
他の頭の使い方したときのことは、
一旦、紙においておいて、それは
頭からはずした方が、
頭を使いやすい。
で、あとで、思考をそのステージに戻す時、
は、書いていたものから、
スムーズに戻れればいい。
こんなふうなので、字は汚くても
読めればよくて、重要なのは
疲れず、速く書けること。
万年筆は、筆圧がごく軽くて済むので、
それにぴったりなのが気に入っているところだ。
等々、なんか難しい感じになってしまったが、
本音は、こんなことを考えて使っているわけではなくて、
「万年筆で書くのが、気持ちいから」
の一言でいいのだろうな。
大事に使っていこう。
<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20120121
<目に入ったニュース>
><