■2025-02-18(火)「ゆっくり弾く」で気づいたこと

 先週土曜日のクラスタフリーコンサートの終了後、
佐々木さんから、速く弾くための練習として、
「ゆっくり弾いて無駄な部分をなくしていく」
という演奏練習をお聞きした。
 
で、早速やってみたのだが、なるほど、と思った。
ずっと昔に、速く弾くための練習は、
「ゆっくり弾けるところから、だんだん速くしていく」
というのをやったりしたのだが、ほとんど上達を感じることがなくて、
自分は、速弾きは苦手なのだ、と思ってやらなくなっている。
 
改めてやってみよう、と思ったのは、
ゆっくり弾く目的として
「無駄な部分をなくしていく」
ということは考えたことがなかったから。
 
やってみて、さっそく
「無駄な部分とはなんだろう」
という素朴な疑問にぶつかった。
 
これは、「今の演奏方法は、それでベストか?」
という問いかけであり、
ポジション、左手の指使い、右手の指使いについて、
今一度考えろ、ということだよな、と推定。
これらは「自然にできている部分」であり、
これを疑って、今一度考えるのは、なかなか難しいことに感じる。
かつ、やってみると、いま弾けているのを、
変えよう、という気にならなかった。
ということで、「意味なし」となったか、というと、
そうではなかった。
 
けっこう、「弾けないところ」がでてきたため。
これは、「完全には、ものにできていないパート」
ということだろう。つまり、
「勢いでは弾けるけど、ちょっと状況が変わると弾けないところ」
というわけだ。
で、これを意識して、しっかり弾けるようにしていくことが
役に立った。
ただ、この点は、昔々、だんだん速くしていくことを
やった際にも、であったことだよな、と思い出した。
 
それに加えてもう1つ、有用だ、と思ったのが、
「無駄はどこだ」と思いながら。ゆっくり弾くことに、
「演奏の解像度を上げる」という感覚を感じたこと。
つまり、スローモーションの映像をみると、
通常スピードでは感じられなかったところを見ることができるように、
ゆっくりの演奏で、細かなところまで、意識する(聴こえる)
ような感覚があったもの。
 
速く弾くことについては、いまさら・・・という気持ちがあったのだが、
この、「細かな表現まで意識できる」
というところは、なかなかよい。
なぜなら、楽しさをその中に感じたから。
 
ということで、速弾きではなくて、「自分の表現を感じる」
ということをハイライトして、
ゆっくり弾くことを楽しめるか、しばらく続けてみようと思う。
 
<過去の今日>
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