DTM

現在は上記のような状況から、パソコンで音楽をやるのを趣味とする方も多い。DTM、デスクトップミュージックというやつだ。楽器が弾けなくてもパソコンがあれば音楽が楽しめる。音楽を楽譜(もしくは楽譜に変わる記譜法で)にする能力と時間さえあれば、すごい音楽が創れる。・・・かもしれない。いい時代だと思う。音楽が好きだけど、手先が不器用で楽器ができないとか、また不幸にして身体的に楽器が出来ない人でも、表現として音楽を創る事ができるのだ。
自分もDTMにチャレンジしてみたことがある。それほど高価でないシステムだが、音源とソフトを手に入れ、打ち込みをやってみた。その結果、やってみてこそ分かるのだが、本当に楽譜どおりに打ち込まれた音楽、正確に楽譜どおりに演奏される音楽は、はっきりいって聴けたものでなかった。実は聴かせるに耐えうる音楽というのは、それなりに「DTMとしてのテクニック」が必要だとわかった。
「人間の感性というのは、とてもすばらしい。人間がいいと感じるのは、そんなに簡単じゃない」
と。以上のような経験と感想は、DTMをやった方のほとんどがもつものではなかろうか。 
結局、自分はDTMは夢中になれなかった。
DTMを続けて来れなかった理由はもう一つある。それは、DTMで聴かせるに耐えうる曲を仕上げていくのは時間がかかるということだ。自分の能力だと「2週間かけて3分のフレーズを創る」といったスピードがせいぜいで、楽しさを感じるどころではなかった。もちろん、ちょっとずつ作品を仕上げていくプラモデルに似た楽しさがあるのはわかった。そして何にしろ、やはり出来上がった瞬間はうれしい。
しかし、その労力とできあがった曲、そしてもしそれをもっと光らせていく為には・・・と考えてみて、ずっと趣味で続けていくには、自分の性格では、無理だと悟った。いつか必ず苦行になっていってしまうなと思ったのだ。
作曲も楽しいが演奏もたのしい。DTMで時間を費やすより「ギターの演奏がうまくいかん」といって、悩んでいるほうが自分としては楽しい、ということだ。
それと「自分は」ということで綴るが、音楽においては「即興性」を期待しているところがあり、「DTMでの作曲」というのはこの期待から最も遠いところにあるということも感じてしまったのだ。