ボサノバ、演歌、フラメンコ、民族音楽:「好きなんです、これが」 

ボサノバ、演歌、その他の民族音楽を弾く人もいる。そういった人は、その音楽が本当に好きなのだ。そしてその楽しさをストレートに表現しようとしている。こういった人の演奏を聴くのは、難しいときがある。独特の癖みたいなものが壁として感じるときがあるのだ。だからこそ、その音楽なのだが、聴きなれていないと、ちょっとつらい。結構高い壁と感じてしまうときがある。
ボサノバ、フラメンコというのは、比較的その壁は低い。
一方、日本の民謡のような音楽や、中近東の旋律音楽のようなものは相当高い壁だ。(このようなものはそもそも演奏されるのは少ないが・・・)
こういう高い壁の一例としては、明治時代に、西洋の方が日本の伝統音楽に初めて接したときの反応として紹介されている。「なにがいい音楽なのか、さっぱりわからん」と。これはその人が悪いのではない。その人の中に、民族音楽のよさに共感する下地が無かっただけのことだ。ある地域のみんないいと思っている音楽なのだから、聴きつづければ、何がいいのかはきっと理解できる。だって、同じ人間なのだ。頭の構造がそんなに劇的に違うことはなかろう。
では、理解するにはどうすればいいか。その音楽をやってみること、できれば習ってしまえばいい。可能であれば、その地域に住んで、その音楽をその地域の方と一緒にやればいい。すぐにとはいかないかもしれないが、きっと良さは体感できると思う。そう考えると、まずもって大事なことは、「そういう共感は、誰でもできるはず」と思い込むことと自分は思っている。こういった癖のある音楽は、よさを体感できると逆にはまってしまうかもしれない。