「ながら聞き」の効果

もうひとつ「ながら聞き(”聴き”ではなく)」がいいなと認めるシチュエーションがある。
それは、『民族音楽のようなどこがいいのかわからない音楽のよさをわかりたいとき』だ。
子供の頃、自分の友達のほとんどは、「日本の民謡なんてどこがいいかまったくわからない」といっていた。しかし、自分は民謡が大好きだった。なぜかというと、親父が、民謡が好きで、家でよくかかっていたからだ。つまり自然な「ながら聞き」によって、いつのまにかよさを理解できる耳をもっていたのだ。また、自分の学生時代、クラシックについては好き嫌いが結構はっきりしていて「○○なんかどこがいいのか」といったことがあったが、友達から、
「とりあえず、ながら聞きでもいいから聞いていれば、そのうちよさがわかってくるよ」
とアドバイスを受けたことがある。確かにそうで、聞きつづけることでそれなりに聴けるようになった。
そういった意味では、「ながら聞き」もいいのかもしれない。
社会人になり、限られた時間で音楽を聴くのだから、好きな音楽を聴きたいという気持ちがあり、自分の現状としては、無理して好きでもない音楽を聴くような機会は少ないが、ある音楽、…そのとき、好きでない音楽だが、一般的によいと認識されている音楽…のよさをわかろうとすると、ある程度聞いて、その音楽のよさに自分が共鳴できるように準備することが肝要だ。
そして、そのとき「ながら聞き」が有効だと思う。例えば無理して「インド音楽のよさ」、「中東諸国の民族音楽のよさ」を分かろうとすることもないと思うが、聞きつづければきっとわかるだろうと思うし、わかったら、それはそれで豊かな人生の一要素となろう。

オーディオ環境として綴ったが、後半内容としては横道にはいってしまった。しかし聴いて楽しむ音楽を考えることは、その環境、聴き方まで考えることなのだと思う。