古賀政男

一方、演歌はあまり好きでなかった。 
あるとき雑誌で、渡辺香津美氏がいっていた。
「演歌をやるとジャズができなくなる。」 
これは実感としてよくわかった。演歌の完全なオンビート、かつ情感たっぷり目の演奏は、ジャズが目指す「クールさ」とは相性が悪い。演歌をやってジャズをやるとなんともビートが変になってしまう・・・。また、歌詞で描いている世界が湿っぽいのもだめだった。
しかし、そういった自分の考えをいい意味で覆してくれたのが古賀メロディーだ。 
クラスタでのフリーコンサートで演奏してみようと思い、古賀政男氏の曲を3曲ほど選んで、1ヶ月間練習したことがある。すごく気持ちよくて、はまってしまった。
ちなみに以下が、そのときの日記の一部。
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あまりに日本人の血を感じてしまう メロディなので、「これ以外弾けなくなってしまうのでは・・・」という、変な心情が沸いてきてしまう。子供のころ、親父がよく鼻歌で歌っていたので、自分の無意識に刷り込まれているメロディなのだろう・・・・。
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このように、はじめは子供のころの刷り込みによって、引き込まれてしまうのだろうと思っていた。 
しかし・・・1ヶ月練習しているうち、「ちがうのではないか?」と思い始めた。 
他の演歌も弾いていたが、それと比べると完成度の違いを感じてきた。自分は、楽しみで弾いているのでどんどんいろんな曲を弾くのだが、いわゆるスタンダードとして世に認められた曲は、メロディ、コードともなるほどと思ってしまう完成度を持っている。
そのなかでも、古賀メロディーはすばらしい完成度であると感じたのだ。 
自分はどっちかというと、先に書いたように演歌を避け気味だ。特にその歌詞のじめっとしたところが苦手なのだが、古賀メロディーについては、なんか全く違った印象をもった。ひょっとして、古賀政男氏は、西洋音楽民族音楽、そして日本の伝統音楽に精通しているのではないか? と思い始めた。自分でもわからないのだが、なんか他の演歌と比べて「品格の違い」とでもいいたいような、完成度の違いを感じたのだ。
そのときの感覚として、比べること自体変かもしれないが、自分の中では、バッハや、いまどきでいうと坂本龍一氏などと同等の完成度を感じた。
しかし古賀政男氏といえば、まさしく日本演歌の「ミスター」だ。そんな人のことを自分は全くしらない。あまりに自国の音楽に無知である自分を反省した。そこですこし古賀政男氏とはどんな経歴なのか調べてみようと思った。
『「演歌」のススメ 著者 藍川由美 文春新書H14.10.20初刷』 
という本をみつけて読んでみた。やはり古賀政男氏はすごかった。自分は当初、古賀政男氏をいわゆるヨナ抜き演歌音階の権化みたいに思っていたのだが、実はもともとは日本的ではなく、逆に西洋音楽を勉強してそういう色の音楽を作っていたが、次第に日本的な色合いを強めていったとのこと。筆者は、
「古賀メロディーを一括りに”演歌”として論じているうちは、真の姿が見えてこないのではと感じ始めたのである。」
として、昭和初期の古賀の所有レコード目録を調べていた。自分がギターを弾いていて感じたこととまったく同様の感想をもったようで、そのことをちょっとうれしく感じながら読み進めた。その古賀政男氏の聴いていたレコードが渋い!!シューベルト、ラベェル、サンサーンスグリーグチャイコフスキードボルザーク、アクロン。加えて、ラテン音楽カンツォーネシャンソン、ギター曲多数。さらに、民謡、長唄、小唄、筝曲、清元。この上、メロディーについては、仏教でなされる声明の節回しまで研究されていたという。自分が生活している社会の文化を、文化として認識するためには、他の社会(他の文化圏)からみるのが必要と思うが、古賀氏は、いろいろ聴けるだけきいて、そして、古賀メロディーを「オレは日本人だ!」といって作り出したような感さえ、持ってしまう。
また、自分の曲を世に出す出し方における心意気もかっこいい。古賀氏のデビュー前後の日本というのは、実はジャズがどんどん入ってきた頃だった。東京 石井善一郎氏「コスモポリタンノベルティ・オーケストラ」、関西 井田一郎氏「ラフィング・スターズ楽団」などの人気がでて(自分は全く知らないが、すごく流行ったとのこと)、大学なんかでもどんどんジャズがなされるようになって大流行していたとのこと。
こんな状況で、クラシックギター1本の伴奏による「影を慕ひて」を発表する。この心意気がかっこいい。古賀政男氏の曲を演奏して、自分は演歌を見直した。これはこれでとても楽しめる音楽だ。また本を読んでみると、演歌というのは厳密な伝統音楽ではないということもわかった。でも、庶民と結びついて、庶民の心を歌っているものであるということもわかった。そう思うと、ある意味 「与作」、「舟歌」なんかは、「日本の(昭和のというほうがいいか・・)ブルース」といってもいい。

改めて「自分のルーツ音楽とはなんだろう」と自問してみる。 
日本の伝統音楽、演歌、学校で習った音楽、流行音楽、そして西洋音楽、ジャズ、いろいろあるが、心の隅で、この問いかけは常になくならないもののような気がする。
その上で自分が素直にいいと感じる音楽を続けていくことにしよう。