プロは大変だろうと思う 

こういった方々の演奏を聴いていると、「プロになれる人とになれない人の差とはなんだろう・・」などと考えてしまう。まずひとつは、当然”技術が圧倒的”ということが必要だろう。村治佳織氏や木村大氏の技術までいってしまえば、誰が聴いてもりっぱなプロだ。若いとはいえ、日々の収斂が音にでている。
スチール弦で上手といえば、先ほど書いた押尾氏とか岸部氏になるのだろう。ただ、クラシックは、演奏として、「どう表現するか?」ということが聴き所だが、スチール弦の方は技術もさることながら、曲自体の出来栄えも評価となる。
だから、押尾氏や岸辺氏の曲を完璧にコピーしたとしても、コピーはコピーだ。それだけではプロにはなれない。オリジナリティというところで、本人には絶対かなわないからだ。だから、スチール弦においてプロになれる人というのは、「すばらしいオリジナルを創れる人」ということも条件になろう。  
クラシックギターのみんなが、同じ曲を弾くところで、突出したものを表現する、ということもとんでもなく大変だが、このオリジナルの曲で感動させるということも、これまた大変だ。
このいずれかの状態が、「自分としては遊びでやっているつもりでできてしまう」という人が「天才」で、そういった天才イコール、「生まれながらのプロ」ということなのだろう。
才能の無い自分でも、ギターだけにすべての時間を費やして100曲くらい作れば、1曲くらい、アイディアはいいねという曲があるかもしれない。また1曲に絞ってその曲をすばらしい表現にしようと5年間1曲のみを弾けば、すごい表現ができるかもしれない。が、「プロになれない人」はそんなもんだろうと思う。
もちろんそれでは、飯は食っていけない。プロになるのは、本当に大変と思う。