5-1  ライブの時代

なにかの雑誌でジャズギタリストの布川俊樹氏の記事を読んで、全く同感と思ったことがある。それは、一言で言うと、
「いままでプロミュージシャンというのはCDを作れる人だったが、これからは、ライブでお客様を楽しませることができる人となるだろう」
という内容だ。その記事では、レコードというものが発明された当時のことがまず紹介され、そのときと比較して、今現在の音楽界のことが書かれていた。大体次のようなことが書かれていた。

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今から百年くらい前、レコードが生み出されたとき、演奏家
「演奏するところがなくなってしまう」
といって、レコード反対運動というのがあったらしい。つまり、レコードは一旦購入すればいくらでも好きなときに最高レベルの演奏が聴けるので、実際にお金を払ってまで演奏を頼むことはなくなってしまうだろうと考えたわけだ。この気持ちはわかる気がする。一生懸命練習しても、うまくいくのは何回かに1回だとして、それが採れた瞬間をレコードにすれば、いつでも、一番おいしい状態の演奏が繰り返し聴けることになる。しかも、つべこべ文句いわずに、再生機があればいつでも聴ける。だから、ミュージシャンが「職がなくなる」と思うのは道理だろう。いつの時代であっても、技術の進歩があったときは、そのとき旧技術による利権をもっているものは反対勢力になる。そしてそれはプロミュージシャンといった芸術関係でも変わらなかったようだ。
しかし結果は、まったく逆の結果となった。レコードのせいで演奏家の職が追われるなどということは、(きちんとしたプロに対してのことだろうが)もちろんありえず、逆にレコードが売れることで演奏する機会はかえって増えるし、お金もより入ってくるような仕組みになった。かくして、レコードは演奏側からも歓迎されるものになっていった。
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さて、現在であるが、今度はインターネットの発達、普及でCD(旧レコード。すなわち音楽媒体)自体が消滅していってしまいそうだ。いま日本でのCDの売上枚数は年々下がっている。じゃあ、音楽自体下火なの? というとまったくそうではなく、iPODのようなポータブルオーディオプレーヤーのためのインターネットを介したダウンロード、ケータイ電話によるダウンロードの方が、爆発的にのびている。音楽は形が持たないものをCDディスクのような形のある入れ物に記録して、それから、その再生機、例えばCDプレーヤー、で再生するのが普通だったのだが、入れ物がなくてもデータさえあればいい、というような状況になってきた。でもこれは音楽家にとってみれば、痛くも痒くもないだろう。
「音楽自体を売りたいのに、CDジャケットなんかつくるのは、大変だ。お金もかかるし・・・」
というミュージシャンがいても全然おかしくない。この「CDが簡単に作れるようになった」という状況は、ミュージシャンにとってのもっと重要な意味は、「シロウトでも それほど大きな経済的負担なくCD製作ができるようになった」ということだろう。このことはレコードという技術が世に見えた時代以上に、ミュージシャンは自分の職の心配をするような時代になったといってよいのではなかろうか。先にあげた布川氏の記事には、引き続いて確か次のようなことが書かれていたと記憶している。

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要するに、これまでは、“プロ=CD(レコード)が出せる人”だったのだが、いまや、ただ単にCDを作るだけではプロとは呼ばれなくなったということだ。「本物の時代」と言っていいだろう。
当たり前だが、プロとは「CDを作れる」ではなく、「”いい”CDが作れる」人のことをいうのだ。しかしながら、芸術というのは、とても個人的なものであるので、「いいCD、すなわち、いい音楽」というのは、主観的なものなので、とりあえずCD作れるということについては、プロとアマチュアの境目はなくなったということだ。
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それでは、なにをもってプロというのか? 布川俊樹氏の記事は
「自分はジャズミュージシャンだから、一段とそうなのだが・・」
と前置きした上で、
「ライブの時代になるだろう」
と書いていた。「プロ=ライブを観に行きたくなる人」(注)に変わっていくだろうといったことが書かれていた。
同感。いま、これだけ「記録された音楽」が売られている時代だが、それでもライブはなくなっていない。自分みたいな音楽好きは、それなりのお金を出してでも、ライブにいきたいと思う。そのライブで演奏される曲がCDと同じだとしても、ライブにはライブのよさがある。そしてそのライブのよさこそが、音楽のよさの大きな部分と自分は思っている。ライブにそんなに頻繁に聴きに行くことはない(できない)かもしれない。ましてや、自分でライブ、すなわち、人前で弾くということはもっと稀だろう。 でも、ライブというものには拘っていきたいと思う。

PS(注)

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「プロ=ライブを見に行きたくなる人」とかいたが
「見に行きたくなる人、すなわち人気がある人こそプロなのだろうか?」
という問いかけがあった場合、その問いかけに対する自分の答えは、「それは必ずしもYESでない」だ。「たくさん売れるものがプロ」、「一般大衆に受けするのがプロ」といった単純な結論ではないだろう。いわゆる「商業主義」といった批判用語があるように、受けることだけを追い求めるのは、芸術から遠くはなれたものになってしまう可能性があることは承知している。でも、それを理解した上での意見として、音楽、音というのは、そもそも時間とともに変化していく一過性の芸術であるのだから、「本質はライブにあり」というのは、真なのだろうと思うのだ。

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