■2024-10-23(水)おいしいものではなく、まずくないものを

ほぼ日手帳の1日1ページの記事から。

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わたしがお店で出す料理を考えるとき、

「おいしいものを作ろう」という考えは全くないんです。

おいしいものは作れないから。

むしろ、いかにまずくしないか。

「絶対にまずくならないもの」を作るんです。

 土井善晴さん

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なるほど。

音楽を演奏するときを考えてみるとどうだろう。

そういう文章を作ってみる。

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音楽を演奏するとき、

「感動するものを弾こう」という考えは全くないんです。

感動するものは作れないから。

むしろ、いかにつまらなくしないか。

「絶対につまらなくならないもの」を演奏するんです。

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これは、ちょっと違和感がある。

音楽とか絵とか芸術というのは、

感動こそが大元にあるはず。これだと、

他人の評価、他の方にみとめてもらいたくてしょうがない、

みたいな文章になってしまう。

 

おそらく、

「おいしいもの=感動するもの」

「まずくないもの=つまらなくないもの」

としたのが、まちがっている。

 

ということで、再挑戦。

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音楽を演奏するとき、

「特別なものを弾こう」という考えは全くないんです。

特別なものなんて、作れないから。

むしろ、いかに不自然にしないか。

「絶対に不自然でないもの、ナチュラルなもの」を演奏するんです。

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うむ、これだ。

 

これが、元の文章の意味するところに近いと思う。

まずいものというのは、なんらか、味がとんがっている、ということだ。

そういうとんがったところがないもの、つまり、

不自然さがなくて、ナチュラルなもの、ということだろう。

 

難しいけれど、「おいしいものをつくろう」

と考えるよりは、やり方があるように思える。

自然の、旬の味をいかせばいい。

無理な味付けをしなければいい、ということだ。

 

自分は、たぶん音楽性にかなり癖があるし、

技術的にも、すぐ底が見えてしまうレベル。

でもそのなかで「ナチュラルでいること」、というのは、

目指すことができるにことであろう。

 

「特別なものなんて作れないから、

  ナチュラルなものを演奏していこう」

 

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