ほぼ日手帳の1日1ページの記事から。
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わたしがお店で出す料理を考えるとき、
「おいしいものを作ろう」という考えは全くないんです。
おいしいものは作れないから。
むしろ、いかにまずくしないか。
「絶対にまずくならないもの」を作るんです。
土井善晴さん
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なるほど。
音楽を演奏するときを考えてみるとどうだろう。
そういう文章を作ってみる。
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音楽を演奏するとき、
「感動するものを弾こう」という考えは全くないんです。
感動するものは作れないから。
むしろ、いかにつまらなくしないか。
「絶対につまらなくならないもの」を演奏するんです。
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これは、ちょっと違和感がある。
音楽とか絵とか芸術というのは、
感動こそが大元にあるはず。これだと、
他人の評価、他の方にみとめてもらいたくてしょうがない、
みたいな文章になってしまう。
おそらく、
「おいしいもの=感動するもの」
「まずくないもの=つまらなくないもの」
としたのが、まちがっている。
ということで、再挑戦。
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音楽を演奏するとき、
「特別なものを弾こう」という考えは全くないんです。
特別なものなんて、作れないから。
むしろ、いかに不自然にしないか。
「絶対に不自然でないもの、ナチュラルなもの」を演奏するんです。
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うむ、これだ。
これが、元の文章の意味するところに近いと思う。
まずいものというのは、なんらか、味がとんがっている、ということだ。
そういうとんがったところがないもの、つまり、
不自然さがなくて、ナチュラルなもの、ということだろう。
難しいけれど、「おいしいものをつくろう」
と考えるよりは、やり方があるように思える。
自然の、旬の味をいかせばいい。
無理な味付けをしなければいい、ということだ。
自分は、たぶん音楽性にかなり癖があるし、
技術的にも、すぐ底が見えてしまうレベル。
でもそのなかで「ナチュラルでいること」、というのは、
目指すことができるにことであろう。
「特別なものなんて作れないから、
ナチュラルなものを演奏していこう」
<過去の今日>
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https://y1kirihara.hatenablog.com/entry/2023/10/24/200939
2021-10-24 ■20211023(土)弾けないフレーズの練習として
https://y1kirihara.hatenablog.com/entry/2021/10/24/072520
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「鳥はたくさんいた」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20170923
「出張でつらかったこと」
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「今日も波佐見へ」
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