5-3  プロの演奏アマチュアの演奏・・立ち上がってくるもの

クラスタのフリーコンサートはうまい人からまだ初心者の人まで、実に様々な方がでているというのは、これまで何回か紹介したとおりだ。そのなかで過去自分が感動したのは、けしてプロ級(もしくはプロ)の方の演奏ばかりではない。自分はプロ以外のアマチュアの方の演奏から、大きな感動を得ることが少なくない。これはどういうことだろう・・・・
単に自分の好みとして、そういうものが好きなのかもしれないとも思う。自分は昔からアマチュアの方の演奏を聴くのが好きであった。
学生時代は野球部だったが、グラウンドに校舎のなから聞こえてくる、ブラウスバンド部の練習音が好きだった。うまくできないフレーズがでてくるのだが、何度も練習してくるうちに、だんだんできるようになってくる。そんな音をいつも聞いていると、どんな音が出したいのかが分かるようになる。そしてそれがわかるとその音を聴くのが、興味をもったものになってくる。(もちろん、まじめに野球の練習もしていた。
こっちは楽しさと苦しさ半々といったところ・・・)そんな感じで音楽を聴くのが好きだった。
でも、「自分の好み」ということを超えて、「アマチュアだが懸命に純粋に音楽をやっているすばらしさ」というのが伝わってくるということもあると思う。高校野球がそれよりレベルの高いプロ野球より、感動を伝えることがあるように。

一生懸命練習してきたものをみんなの前で、真摯な気持ちで演奏しているものは、語りたいものがすっと見えてくる。この瞬間、うまいへたを通り越して引き込まれるものを感じる。上手ではなくてもその方の人柄みたいなものに惹かれるてしまうような感じをもつ。またあるときは、その方が家で弾いている姿が演奏を通して見える気がするときもある。
「演奏から立ち上がってくるものがあるか?」
表現したいもの、それが自分の先生やアイドルの真似でも構わないと思うが、思い入れの強さ、表現したいという誠実な気持ちがあると、音は意味のあるものとなる。じっと耳を傾ける気持ちになる。 
但し、逆のときもある。すごく練習して演奏技術としてはうまいのだが、伝わってくるものがないこともあるのだ。「単なる指の体操」みたいに聴こえてしまうものもある。これは、「自分の演奏に飽きてしまっている。感動、喜びがない。」という感じがするときだ。技術を上げる為に、また人前での演奏であがらないために何十回何百回練習する。その結果、自分の音楽が語るものが、「実に練習はきつかった。ほんときつかった。」ということになってしまうのは悲しい。確かに、人前で弾くのだから、ミスをしないほうがいい。しかし「弾きくたびれたフレーズ」、「歯を食いしばってひくフレーズ」ばかりに聴こえてしまうのはどうだろう。
そう考えてみると、「毎回新鮮な気持ちで」というのは、口で言うほど簡単ではない。鬼のように難しいのだけど、それを実に楽しく演るのが、プロなのかもしれないな、と思う。音楽を楽しそうにやっている演奏は、それがクラシックでも(つまり毎回同じ譜面演奏でも)2回と同じものはないと聞こえる。あるときはとても気品を持った演奏、あるときは情熱的に、それらはいつでも「初めて弾いた」みたいに聞こえる。「今この瞬間の表現」を追っているということだろう。そして、まさにそれこそが、「ライブの楽しさ」だ。せっかくライブを聴きにいくのだから、そういう演奏を聴きたいし、聴きとりたいと思う。