「アメリカでは、脚本の作り方が数学的で最初おどろいた」
という記事を読んだ。
ドラマの筋書き上、最初にこういうことが必要とか、
このタイミングで、このセリフがないと対立構造が深められないとか、
パズルみたいにやっていくとのこと。
そうすると、ロジカルに先を見越した作り方ができるので、
脚本製作がチームでできるとのことであった。
なるほど。
脚本作りだけでなく、「数学的に」というのは、
いろいろなことで威力を持つものだろうと思う。
つまり、人が違っても同じ成果を精度高くだせるようになったり、
あることを数字(というか、ロジカルな思考を持って)
チームでできるようになる、ということだ。
では、芸術面ではどうだろうか。
たとえば「絵描きを数学的にやる」というのは、どういうことか。
混色での色の作り方や、影の部分の表現の仕方とか、
それらをロジカルにはできる。
一旦、できるようになると、いつでもできる引き出しとできるようなところは
数字的にやっているということだろう。
自分としては、これでやれるところは、どんどんやってしまうのが
いいだろうな、と思う。
ただ、そのうえで、「これはいい」というのは、
「数学的でないなにか」
も必要だろうな、と思う。
で、数学的にやれることは、きっと
芸術面ではマイナスではない、と思う。
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