■2024-07-27(土)陰影の部分

 このところ絵を描くことも楽しむようになったが、

陰影、つまり影の部分が大事だな、と思った。

光の当たる部分は、そのものの色だが、

影の部分は、そのものの色ではない。

で、この部分の色の選び方、作り方、

というのが、絵を描く人の個性になっているな、と思ったもの。

 

要するに、「暗さ」が加わっているということで、

シンプルに言うと、「灰色がかっている」

ということだが、「灰色でぬればいい」

ということでは、もちろんない。

灰色といっても、元の色が残っているし、

光の具合で、本当に様々な色になっている。

なので、補色を加えたり、光の具合から、周りの色の

回り込みを考えて、その色を重ねたり、とか、いろいろ

して、その陰影を表現することになる。

そして、その結果として、絵が立体的になり、

味わい深いものとなる。

そして、表現する方の個性になるところだな、と思うもの。

 

で、そう考えて思いついたのが、

ソロギターのアレンジも同じようなところがあるな、

ということ。

 

メロディーの部分は、いってみれば陽の部分で、

曲の骨格であり、ここはその曲をその曲たらしめているところ。

もちろんこの部分での表現も大事なのだが、

ここは、変更しすぎるとその曲ではなくなってしまうので、

そんなにアレンジ上での違いが顕著に表れることはない。

一方、個性がでるのは、バッキングにあたる部分。

単純にコードのベース音だけ、というのから、アルべジオにしたり、

いろいろある。

これが絵画における陰影の部分同様に、

曲を立体的にし、またその奏者(アレンジャー)

の個性がでてくるところだな、と思ったもの。

 

しかし、自分の演奏を思い返してみると、

「あまり考えることなく、手癖で弾いている」

ということが少なくない。

「この部分こそが、曲を立体的にしているところ」

 というように考えて、アレンジ、演奏を

していくといいのかな、と思ったもの。

 

 「陰影を持った演奏」・・・・ うむ、かっこいい。

意識してみよう。

 

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