このところ絵を描くことも楽しむようになったが、
陰影、つまり影の部分が大事だな、と思った。
光の当たる部分は、そのものの色だが、
影の部分は、そのものの色ではない。
で、この部分の色の選び方、作り方、
というのが、絵を描く人の個性になっているな、と思ったもの。
要するに、「暗さ」が加わっているということで、
シンプルに言うと、「灰色がかっている」
ということだが、「灰色でぬればいい」
ということでは、もちろんない。
灰色といっても、元の色が残っているし、
光の具合で、本当に様々な色になっている。
なので、補色を加えたり、光の具合から、周りの色の
回り込みを考えて、その色を重ねたり、とか、いろいろ
して、その陰影を表現することになる。
そして、その結果として、絵が立体的になり、
味わい深いものとなる。
そして、表現する方の個性になるところだな、と思うもの。
で、そう考えて思いついたのが、
ソロギターのアレンジも同じようなところがあるな、
ということ。
メロディーの部分は、いってみれば陽の部分で、
曲の骨格であり、ここはその曲をその曲たらしめているところ。
もちろんこの部分での表現も大事なのだが、
ここは、変更しすぎるとその曲ではなくなってしまうので、
そんなにアレンジ上での違いが顕著に表れることはない。
一方、個性がでるのは、バッキングにあたる部分。
単純にコードのベース音だけ、というのから、アルべジオにしたり、
いろいろある。
これが絵画における陰影の部分同様に、
曲を立体的にし、またその奏者(アレンジャー)
の個性がでてくるところだな、と思ったもの。
しかし、自分の演奏を思い返してみると、
「あまり考えることなく、手癖で弾いている」
ということが少なくない。
「この部分こそが、曲を立体的にしているところ」
というように考えて、アレンジ、演奏を
していくといいのかな、と思ったもの。
「陰影を持った演奏」・・・・ うむ、かっこいい。
意識してみよう。
<過去の今日>
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