バードウォッチングにおいては、自分は
自然の中を一人でゆっくりあるのが好き。
で、それを好んで週末やるのだが、
そうしたところ、姿は見えずだが、
鳴き声(鳥の場合はさえずり)、羽音、
草の動き、影の変化、みたいなものから、
「なにかいる」というのを、随分感じられるようになった。
そして、それに「快」を感じている。
どうしてだろうか。
と考えたのだが、人間として、というか
それ以前からかもしれないが、
「周りの生き物の気配を感じること」
は、生きるために重要な機能だった期間が
長い期間あったからではと思った。
そして、その機能は逃げるための機能であると同時に
「食物となるターゲットをみつけた」という、
うれしさを感じる機能でもあったのでは、との思いに至った。
ということで、その機能が上達するのを
気持ちよく感じるのは
理にかなったことであり、
「バードウォッチングは人間の本能に近い趣味」
というように考えておこう。
PS
今日は、近くの子供大池公園にて。
に会えた。
<過去の今日>
2020-12-12 ■20201211(金)集まることの有利な点を考える
https://y1kirihara.hatenablog.com/entry/2020/12/12/083923
https://y1kirihara.hatenablog.com/entry/20181211
「自由帳用のハンコを物色」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20171211
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20161211
「ひさしぶりの有給休暇」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20151211
「弾きなれた曲を違うキーで」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20141211
「週末に向けて」