自分を消す事

古典芸能というのは、
自分がでてしまううちはシロウト
とみなされるとのこと。


ちゃんとした古典芸能の役者さんは、
「自分らしさ」というものを
排除して、
「芸能そのものになりきる」
ことをもってよし、というか、
まずそっから。


という文章を読んだ。



なぁるほどぉぉぉぉぉ。



そうかもしれんな、と思う。


ギター演奏でいえば、
禁じられた遊びを弾くときは、
「”あの”禁じられた遊び
が正解であり、
「自分らしい禁じられた遊び
は、シロウトなのだ。
クラシックとしては。



ということで、
「自分を消す」
ということを意識して
禁じられた遊びを弾いてみる・・・・・


そこで考えてしまったのだが、


「自分を消す」
ってどういうことだ?



うーーーーーーーん、


と考えたのだが、
多くの人が、弾く表現の平均の演奏、
長ーい年月で、飽きて飽きてもう
自然に弾けてしまって、枯れた演奏の
先にあるもの、


とかなのかな、と勝手に思った。


すとん、と落ちている演奏というか。


そうは思うのだが、
当然、できないのだった。


芸って、なんなんでしょう。


<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20080422
<目に入ったニュース>




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