ストーリー、競技、演奏

オリンピック、
なでしこジャパン残念。
でも、いい戦いだったと思う。


選手たちをみていると、
それぞれ背景というか、
「この場に至るまでのストーリー」
といったようなものを感じる。
それは「世界一」
を目指しているので、
「一筋縄ではない」ものだろう。


で、
自分なりの思いとして、
そういうものが、テレビとかで
放送されてしまったりすると、
その選手の成績を心配する。


調べたわけではないが、
そういうものが放送されたりすると、
大体成績はよくない方向にいくように、
自分は感じているのだ。


競技においてこういう
「ストーリー」
というのは、いかほどの影響があるのだろうか。
放送されれば、当然選手自身もそれをみて
しまうだろうが、それって
あんまりいいことではないのでは・・・。


「○○を思い出してがんばれました」
なんていうのがあるが、本当だろうか。


もし頭を使う競技ならば
(自分としては、ほとんどがそうだと思うのだが)
その競技をよくするために
頭の資産を使うべきで、
なにか、感傷的とか、感動的とかいう
ストーリーは不要としたほうが、
選手としては、いいのではと思う。


まあ、
「自分のリミッターをはずして
 レッドゾーンに追い込む材料として」
みたいなストーリーがあって、
「そういう使い方がコントローラブルにできる」
ということあれば、そういうのも
「あり」とは思うが・・・


自分は野球をやっていたが、
「一番うまく行ったと思うときは
 なにを考えていたか」
を思い返してみると、
バッティングなんかで
考えてみると、
・ピッチャーとの勝負、つまり次の読み、
 次の一手に集中するとき
だったかな、と思う。
(でも腕の位置とか、細かな技術論が
 頭にきているときは全く駄目)


テレビで観戦者としてみていると、
余計な情報がいっぱい入る。
いろんなストーリーが紹介される。
そして、それはそれで楽しい。
感動的なストーリーなんかも
結構あるし、感動大好きな自分は
すぐ、うーん、すごい・・・
などと感動してしまう。


ただ、
みているときは、それを楽しみつつも、
「競技自体」
をみることに集中したいと思っている。
その選手が作ってきたのは、
そういう背景ではなく、
「今このパフォーマンス」なのだから。



そんなことを思いながら・・・・


ギター演奏では・・・と考えてみる。


「演奏しているとき、演奏者はなにを考えているか」


競技じゃないから、勝ち負けはない。
でも、
うまい下手はあるし、なんかわからんけど、
「うまくできた」と「まったく駄目だった」
もある。(というか感じる)


では、そのとき頭にあるものはなにか。


ストーリー?
演奏技術?
ただ歌っているだけで空っぽ?
観客の反応をみている?
今の音を聴いている?
それとも次の音を聴いている?


自分はというと・・・・


というところで、書くのをとめよう。
(今日は、ずいぶん脈絡無い・・・)





<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20070818
<目に入ったニュース>
今日も寝不足になってしまっているので、
今日はこれパスして、少し目を休めます。

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