「数学の問題ができない」を考える

子供が数学の問題ができずに
悩んでいる。
家内から自分に教えてもらえといわれて
すごく機嫌が悪い表情で
問題用紙を持って相談にきた。


まあ「できないのが悔しい」
と感じることはいいことだ。
だからこそ、伸びるのだ。
でも、教えてもらうときは、もう少し
謙虚な態度の方がいいぞ、
と思いながら、問題をみてみる。


食塩水の%の問題だ。
ポイントは、方程式の立て方で
あとは確実に計算ができればいい。


ということで、子供が解いて
間違っている状況をみてみた。


・・・・よろしくない・・・・


まず、
「問題文を日本語として理解する」
というところで躓いている。
数学的にいえば、
「割合という概念」、「%の意味」、「掛け算の概念」
こういったものが理解できていない。
そういう状況で、答え(すなわち方程式)
をとにかく
なにかしら書かねばならなかったのは
さぞかしつらかったろう。


機嫌が悪い顔になるのもわかる。


で、自信がないところで、
(自暴自棄で)
その後の計算をしたことがわかる。
先日できていた方程式の計算もぼろぼろだ・・・


勉強というのは、
「なにがわかるのか」
ではなく、
「なにがわからないのか」
を見つけるものだから、わからない問題
にチャレンジするのは、いいことだ。
(わかる問題を解くのは気持ちいいが、
 できるのが当たり前になってからは、
 時間の無駄となろう)
しかし、
「2つ以上、わからない要因がある」
というものを解くのは、
よほど精神的に強いものでないと、
崩れてしまうのだなぁ、と思った。
数学はそこが問題だ。
学力が身につくというのは、どういうことか
というのを身をもって体験できる。
そして、これはぁぁ面倒だ、と思ってしまったとき、
「自分、数学苦手」
となろう。


うちの子については
もう少し問題のレベルを下げ、
基本部分をハイライトしたものを
積み重ねるか、
「この1問」
と決めて、徹底的に理解をするか、
いずれかをやりきらないと歯が立たない
状況だ。


問題のセレクト担当の家内に以上を説明。
子供には、懇切丁寧に模範解答を説明、
かつ、
とにかく頑張れとしかいえない。


「勉強してできないことができるようになる」
ということはどういうことか。
「わからない、というのは何がわからないのか」
「どういう考え方、概念が理解できてないのか」


子供が眠くなくて、
じっくり勉強できている休日にでも
ひざをつき合わせて話して見てもいいなと思う。


「概念を理解していない人に、
 それを説明するとはどういうことか」
「わかるように説明するには、
 どうすれがいいか」
「そういうことで対話というのは、
 どうあるべきか」


いろいろ自分としても
勉強になりそうな気がする。



<昨年と3ヶ月前の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20061205
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20070905
<ギター趣味人>
http://guitar-shumijin.g.hatena.ne.jp/y1kirihara/20080427
<目に入ったニュース>
・中国:即席ラーメン食べ小学生4人中毒死
(中国、めちゃくちゃ怖い状況だな・・・)
・また銃乱射、米ネブラスカ州で8人死亡…撃った男は自殺
(やはり、銃は規制すべきと思ってしまう。
 難しいのは重々承知だが。)
タニタが世界初の脂肪率・内臓脂肪計測装置
(これはぁ・・・・)

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