頭で

体操の具志堅選手の事が
テレビのニュースで取りあげられていたのをみた。
特に見たくて見たというわけではなく、
テレビを横目でなんとなくみてたら
流れていたという感じでみたもの。


松岡修三キャスターが
担当で、主題は具志堅選手はもともと
プレッシャーにものすごく弱い選手であったのを
いかに克服していき、金メダルをとったか
といったような話だ。


しかし、自分が興味をもったのは、
具志堅選手が大怪我をして、
その後しばらく練習できなかったのだが、
復帰後の練習でいきなりそれまで
できなかった技ができるようになった
というところだ。
怪我で休んでいるときに、
技術の仕組みを考えていて、
完全に理解することができ、イメージが
できあがったのだと紹介されていた。



自分の趣味のギターは
「完全に趣味に割り切ろう」
と決めているので、夜弾くのは
まずもって楽しむことを第一にしている。
適当に好きな曲の楽譜(TAB譜だが)をみて
それを弾くのを楽しむ。
しかし、
このところ、じっくり曲に取組みたいと
思うようになった。
先日このブログに記載したとおりだ。


これは、同じ曲を繰り返し弾きながら、、
それに加えて、その曲の構成やコード感、
指使いといったところを吟味して
いくことに必要性を感じたものだ。


具志堅選手の話を聞いていて、
ふと思った。


この「考えること」は、ギターを
ひざの上から降ろして、机の上に
楽譜をおいて、やった方がいいのではないか。


そういえば・・・
セコビア氏は目が悪く、
楽譜を見ながら演奏することが難しかったので、
まず楽譜を完璧に暗譜することから始めた
というのをなんかで読んだことがある。
その暗譜は単なる暗譜ではなく、
音楽としての構成検討や、
指使いの検討まで入っていたことは
もちろんだと思う。


そして、その「考えること」
「頭で完璧にしくみを理解すること」
というのは、体や指が技術的に
動くかどうかにも密接に関係している
のだろうなと、件の具志堅選手のテレビを
みていて思ったのだ。


1フレーズずつ完璧を検討していく
クラシックの演奏家の方にとっては
当たり前の事なのかもしれない。


ということで、
自分もやろうかな・・・と思っているが、
自分は絶対音感などないので、
「楽譜みて楽しむ」というのは厳しい。
だから、弾けるようになった曲の譜面で、
自分としてのアレンジなどを
検討することを楽しめるかやってみようと
思う。
もし、楽しめたら、もう少しギターが
上手になれそうだ。


でも、本質的な問題は、そういう時間が
もてるかどうかだろうな・・・自分の場合は。


<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20060626
<ギター趣味人>
http://guitar-shumijin.g.hatena.ne.jp/y1kirihara/20080427


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