必要毒

このごろ読んだ本の中で、
ひとつ納得したことがある。
なんで、栄養価が高い玄米より、
白米の方がおいしいと感じる人が多くて、
うれるのだろうという問いかけに
対する答だ。


種とか豆とかいうのは、食物として
完全に近いという。
確かに豆はうまい。


そんなとき、いつも思うのだが、
玄米(も豆であり種であろう)
と白米では、おいしい玄米は
たしかにおいしいのだが、白米も
玄米に劣らず、おいしい。


栄養でいえば、玄米の方が「種そのもの」
であり、完全に近い。
だから、
「玄米の方が圧倒的にうまい」
という評価になってもよさそうなものだ。


しかし世の中一般では、白米の方が
圧倒的に売れている。


なぜだろう・・・・


この答を得たような気がした。


簡単にいうと、
玄米には必要毒があるということだ。


植物の種というのは、ある程度、
他の生物に食されることは
しょうがない。
しかし、ただただうまいだけだと
際限なく食べられてしまい、
種の保存ができなくなってしまう。


だから、ある程度「毒」を
持っていて、たくさんは食べれないように
なっているのだそうだ。
納得だ。


だから、食べ過ぎると下痢したり、
たくさん食べたくなくなる
感じ(つまり毒)
をもっているのだという。


これを無理やり解除してしまうのが、
「熱」の利用であり、米では
精米なのだろう。


つまり、
精米というのは、
「一番うまいところ落とし」
であるのと同時に、
「毒落とし」
であるということだ。
このおかげでたくさん食べることができる。
たくさん食べることができると
たくさん働ける。
たくさん働けると、
たくさんお米がとれる。
ということで、
シンプルに言うと、人間だけはが、
欲望のために、
たくさん食べれる方法を
いろいろ考え出したということだ。
(熱による毒落としも同じ。)

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以上、納得したことなのだが、
毒について考えてみると、
「完全なものというのは、
 ある一定量、必要毒をもっている」
と自分なりの結論になった。
自分の生活からの実感と合致する。


「本当にいい性格」
の人では、うまくいかない。
小学生とか中学生では、
「本当にいい性格」では、いじめられっこのタイプ
といっていいと思う。
やはりちょっとは毒がないといけない。
「いつも食べてると、まずい」
でないと、やられほうだいだ。


もちろん、逆に毒だけでは、
だれもたべてくれない(相手にしてくれない)
のでうまくいかないのは当たり前であるが。


適度な毒が必要だ。


芸術もそうだと思う。


「上手なだけだね」
というのは、もちろん、
「つまらない」
ということだ。
それなりに毒をもっていることが
味というものだろう。


さて、
自分の演奏に毒はあるか・・・


毒だらけで、まずは
もうちょっと食えるようにすることが
まず先決だったりして・・・・



<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20051214

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