透明な音楽

むかーしのパットメセニーのインタビュー記事で映画音楽製作に関するくだりがある。
「映画音楽は映像に本当にぴったりになると、音楽自体が映像と溶け合ってしまって、音楽自体が流れていること自体気が付かないようになる。自分のグループの音楽とは全く違う世界だ。」
よくわかる。
ゲーム音楽ドラクエは最高と思っているが、映画音楽と同じで、とっても悲しい場面や、いやな場面、おどろおどろしい場面など、実に気分にマッチする音楽がでてくる。
すぎやまこういち氏すごい!!!大好きな帰ってきたウルトラマンの主題歌も彼の作品だ!!)
映画も、ゲーム音楽も、人生のハッピーな面だけでなく、アンハッピーな面も題材にするため、音楽も、一聴して、極端にいうと暗くなってしまう曲もある。

一方、渡辺貞夫の一言。「僕は悲しい音楽は作りたくない。聴いている人がハッピーになれるようにと思ってやってるから」

自分はシロウトで、これらの超一流の人とは全く比べ物にならない、ずうっとアマチュアのレベルなのだが、曲を作るときの気持ちは、渡辺貞夫の言葉の方が、共感できる。
そうでありながら、ドラクエや映画音楽聴きながら、こんな世界観を音楽で表せるようなトライもやれたらな、とあこがれる。

自分以外の人の、作曲するときの心の持ち様とは、どんなのなのだろうか?な〜んて考えたりして。

以上、日曜日、家族サービスで音楽聴きながら、車運転中に考えたこと。
(ちなみに一昨日9/30の日記のときも、同じようなこと考えていた。読み返してみたら後で記載となっていた。期せずして、本日記載となった。)