■2024-07-03(水)このごろソロギター譜のアレンジから感じていること

ここ1年くらい、ギター演奏は、以下のようなことをしてきた。

 1.「ちょっと難しくて弾きにくい曲」

    を譜面にして、それを弾けるように練習する。

 2.簡単に弾ける曲は、譜面通りに弾かずに、

    自由な歌いまわし、伴奏音を瞬時にアレンジして弾く」

 

で、新たな試みとして、先月から、上記の2.でやっていることを

譜面にしてみよう、と取り組んでいる。

これがけっこうおもしろく感じていたのだが、

ここのところ、「やりすぎ」を感じるようになった。

 

譜面上だと、どんどんアレンジを凝ることができるので、

自分が弾ける以上のことをアレンジしてしまうことが往々にしてある。

まあ、これも弾きたい、と思えるものであれば、

技術向上のためになるものであろう。

 

しかし、そうではないときもある。

そのアレンジが「音楽的でない」というケース。

これは、弾いてみるとよくわかるのだが、

「難しいけど、なんとか弾けるようになりたい」

と思うケースと、

「弾けないし、弾けるようになろうとも思わないな」

がある。

もちろん、前者が音楽的で、後者がそうでない場合だ。

 

音楽に不正解はないので、この判断も

「自分にとって」なのだが、そもそも

自分が崩して弾いているものを、

楽譜にしているのに、なぜこういうことが

起こるのか、というと、 

PCのギター譜ソフトは、入力すればなんでも演奏して

くれるから。

かつ、それは、楽譜通り正確に弾いてくれる、

ものなので、えてして、これはよさそう、と聴こえてしまう。

しかし、自分で弾いてみると、

「あれ、なんでこんなアレンジにしたんだ」

となる。

 

思うことは、

「より難しく」とか、「より技術を詰め込んで」

というようにならないように、

「自分は、こういう風に弾くことが美しいと思うか」

かつ、

「それはシンプルか」

ということを意識していくことがよさそうだ。

 

継続していこう。

 

<過去の今日>

 2023-07-04 ■2023-07-03(月)シャッフルビートの曲

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2022-07-04 ■2022-07-03(日)とまとときゅうりとなす

https://y1kirihara.hatenablog.com/entry/2022/07/04/075225

2020-07-04 ■20200703(金)今、何をすべきかわからないとき

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2018-07-03 掃除のための時間

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「ペンの好み」
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「身体の自動化のために」
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