ノートを楽しむ

ノートをとって、各ページに付箋でタイトルをつけ、
そのタイトルだけ、パソコンに入力する。


このスタイルを半年、今年の4月まで続けて、
その後やめた。


パソコンの検索力と、ノートの記載の自由度を
あわせたもので、それなりに効力があった。


でもやめてしまったのは、
そのためのタイトルを入力する手間に
比べて、そのページを再度見返す頻度が
少なかったから。


そうしてみて気づいたのは、
自分にとってノートをとることは、
「将来の自分にとっての記録」
が目的ではなく、
「ノートをとるそのときに、自分の頭を最大限活性化するため」
なのだと、思うようになった。
つまり、ノートをとること自体が目的。


実際、自分はノートをとるのが、好きだ。


自分は、授業や講義を受けたりするとき、
欠点でもあり、利点でもあると思うのだが、
雑念がすごく沸く。
それらを消すのに最もよい方法が、
ノートの端っこに色を変えてメモしてしまうこと。
あとでじっくり考えればいい。


そういった心の移り変わりというのは、
自分で自分をみていて、なかなか面白い。


そういうことを気がついて、
ノートをとる目的自体が変わった。


では、記録していたことを
もう一度見直す、という効力を享受することが
なくなって大丈夫?
ということを自問自答してみたが、
「過去にノートをとった」と気がつく
ことは、もう一回引き出すことは、ほぼ可能。
一方、それがわからないときは、
「あるかどうかわからないものを探す」
という状況になり、大変厳しい。


じゃあ、これまで享受していたものは、
なんだったのか?
というと、大体は、会社で他の方から、
「あれ、なんだったっけ?」
といわれるケースが多い。


この場合は、大体において、
「日時から検索可能」
であり、わざわざ索引を作る必要なし。


ということで、
「ノートは思いっきり自分で楽しんで書く」
ということに徹することにした。


現在状況としては、
非常に精神衛生上よい。


<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20100721
<目に入ったニュース>

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