考と感

「運動すると、馬鹿になる」
なんてことを言っていた人がいたが、
わからなくもない。


運動すると、スキッとしてしまって、
思い悩むことが少なくなるような気がする。
そうすると、あれこれ考えることも
少なくなるので、
「あんまり考えない(悩まない)」=「馬鹿」
みたいに思えなくも無い。


もちろん、今年読んだ、
「脳を鍛えるには運動しかない」
なんかの科学的な知見をもってすれば、
全く持って、そんなことはナンセンス。
そうわかっているのだが、
ちょっと考えてしまったのは、
このところ、このブログへの記載内容を
若干「考える」ようになった。
毎日、なにも苦労なく、するすると
書いていたのだが・・・。


毎日書いているのだが、ネタだって、
少なくなるさ、
というのは、自分の場合あんまり理由にならない。
自分は、なんどおんなじネタを書いたって
いいじゃないか、と思っているのだ。


そうではなくて、
「頭にひっかかるもの」
がなんとなく、少なくなった気がするのだ。


「創造力に陰りあり・・・なのか・・・」


それはいやだなあ、
なんて思いながら、今日も30分の
ジョグをしたのだが、
適度な運動で、気持ちよくなってくるなかで、
ふと、その理由めいたものが頭に浮かんだ。


『「考」じゃなくて、「感」になっている』


ジョギングしている間は、
足の感覚、腕の感覚、空気の温度や湿度、
目に入ってくる風景、
これらは、「考えている」といえば、
いえなくもないが、むしろ、
「感じている」だ。


そして、その感じることの感度を
どんどんあげようとしている自分がいる。
そうすると、あれこれ要らん考えは、
頭からすっきりいなくなって、
「たった今」
を感じている状態になる。


最初は、「考え」だったのかもしれないが、
多くの状態において、「感じ」になっている。


これが一番幸せなときなのかも。


仕事でも、あれこれ考えているときより、
「とにかく、やっている」という感じのときが、
気持ちいい。


ギターも、
「今」にのみ、集中しているときが、一番気持ちいい。


じゃあ、と、逆に考えてみて、
「感じることを大事にする」
というのが、いいのだろうな、
との結論に至った。


よし、これでいこう。


しかし、・・・・


その「感じ」は、文章にできるのだろうか・・・・




<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20091216
<目に入ったニュース>

><