ジャズ

「ジャズ」というと、「テンションコードを使い、4ビート」という「スタイルとしてのジャズ」がある。巷の楽譜集でも「ジャズ風アレンジ〜」というのを見つけるのは難しくない。でも、もちろんそれらは「ジャズ風」であって、ジャズではないだろう。どんなに、テンションコードを使っていても、またジャズらしいリズムであろうとも、毎回同じもの寸分狂いなくでてくるような演奏は、ジャズではない。やはり、アドリブがあってこそジャズだ。
しかし、いくらアドリブといっても、「完全に適当」では音楽にならないので、いろんなスタイルを追いつつ、自由に歌い上げることをしていく。
ルイ・アームスロトング、チャーリー・パーカージョン・コルトレーンマイルス・デイビスといった巨人がジャズをひっぱっていた時代は、ジャズは最先端の音楽として「誰もやっていないやり方」を探求していた。ビックバンドからバップ、モードそしてセシルテイラーとかフリーの方向がでてきて、オーネットコールマン、ドンチェリー、ギタリストでいうとデレクベイリーといったところまで突き抜けていく。
しかし、「新しいスタイルの探求」は、やはり限界があったようだ。
それはそうだろう。12音という西洋音階であるし、音楽と言うのは、繰り返しは重要な要素であるのだから、完全に突き抜けていく方向がいつでも限界なく楽しめるものでもなかろう。
フリーまで突き進んでしまったところで、ジャズは大衆性を持つことは難しくなり、また、そこに至るまでのかっこいいジャズのスタイルについては、フォロワーがあふれ、そのスタイルの学問化が始まった。
これをもって「ジャズは死んだ」等といわれている。(ように思う。)
確かにそうかもしれない。今ジャズを、「ブラック・クラシカル・ミュージック」として定義していこうという動きが一部であるとのことだが、これはすなわち、ジャズを西洋クラシックのように伝統音楽としてとらえるものだ。この意味では、最初の「ジャズ風アレンジ」こそまさしくブラック・クラシカル・ミュージックと呼べるものなのだろう。
これをよしとするならば、ジャズは死んだのではなく、ジャズは新しいものを追っていく音楽がから、古きよき時代を気持ちよく思い出させてくれるものとか、ジャズ風の色合いを楽しむものとかへと変わってきたのだといえると思う。
結局、音楽は楽しむもの、であるので、これはこれで悪くない。ただ、ジャズが生き生きと生きていたときの、「最高の瞬間」が期待できるかといえば、なんともいえない。