つらさ、きつさに抗するものは

おとといのブログで、
「なぜあんなに苦しくても、
  速く走るのだろう・・・」
「遅くても、気持ちよく走るほうがいいなあ」
「ギターも同じで、つらさを我慢して
  すごい曲ができるより、いまを楽しむほうがいいなあ」


と書いた。


しかし、書いてはみたのだが、
それでも、昼休み走っていると
あまりに、たくさんの方がぜいぜい
いいながら、自分を抜かしていく。


そうしてみると、
なにか、そういう考えではなくて、
「苦しさのなかでの楽しさ」
みたいなものがあるに違いない・・・


それはなんなんだろう・・・


二日前に書いてから、ずっと心のなかに
ひっかかっている。
で、ひとつ答えが浮かんだ。


それは、
『人は、「育つ」ということが
  ものすごく好きだ』
ということ。


ランニングは正直だ。
走らずに、速くも、長くも走れない。
走った分だけ、できるようになる。


中年を過ぎたサラリーマンにとって、
そういうことって、どれくらいあるだろう。


ギターでも、
なにかができるようになる、
というのは、もちろんうれしい。


「自分の成長を感じられる」
「自分の成長を信じられる」


これは、きつさ、つらさに
対抗できそうだ。


自分の中にも、
たのしみたい、という気持ちと同じくらい強く、
成長したい、という気持ちがある、
ということに気づいた。


自分の成長を信じることも、
楽しむのと、同じくらい、
大事なんだろうな。




<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20091207
<目に入ったニュース>

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