ためらいの美しさ

ある本で、
「技術研鑽した職人が作ったものは
 なぜ美しいか?」
みたいなことが書いてあった。


答えは、一言で言うと、
「時間に磨かれているから」


「本当にこれでいいのか?」
「こうしたほうがいいのでは?」
「ちょっとここは、こういう風に・・・」
と常にためらいながら、迷いながら、
作られたものは美しい。


「その時間」は
内包されるのだ。


「ためらいを重ねた美しさ」
みたいな言い方ができるかもしれない。


さて、「昨今のものづくり」を
考えてみると、
なんでも自動化だ。


「如何に考えずにつくるか」
つまり、
「如何に時間をかけずにつくるか」
がコストに結びつくので、
それが勝負となっている。


つまり上記の
「ためらいの美しさ」
とは、まったく逆のものづくりだ。


だから、
そうしてできたものは、
えてして、
「とっても軽くみえてしまう」
とか、
「統一感を欠いた」
とか、
もっと率直にいえば、
「安っぽく」
みえてしまうものだと思う。


・・・・と書いてみて、自分で自分に
問うてみる。


「本当に自分は、そういうものを見る眼
 をもっているのか?」


正直自信がない。


あまりにも、
まわりにあるものの
ほとんどが、大量生産品だ。
ほとんどが手作りであった
「江戸時代の方の視る眼」
と比べると、こと、手作り品
については、すごく審美眼としての
能力はよわいだろうな。


でも、
人間というのは、時代に関係なく、
直感的に、そういう、
「時間の積み重ね」
とか、
「ものづくりにおける誠意」
みたいなものは感じることが
できると信じたい。




・・・・・・
そういう感性がみがかれますように!
とお祈りしながら、
今日もギターを弾こう。



<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20080510
<目に入ったニュース>



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