「あの感覚」を意識してできるか・・・

生活における、
「タイミング」みたいなものが、
ちょっとずつずれていて、
いまいち、調子がでない。
先日の寝不足による鬱、というわけではないが、
もうひとつの気分。


こういうときは、
ギターをじっくり弾くのが
自分のスタイル。


先日、脳の話のテレビで、
脳卒中で、
「右脳だけの機能になってしまったら、
  大変静かで幸せな気分になった」
といっていたのが、
ずっと心に引っかかっている。


仕事や生活で、すごくごちゃごちゃに
なった頭が、ギターを弾いて
「すっと軽くなってしまう」
という経験は、これなんじゃなかろうか・・


ふと、思い出したのは、クラスタのフリーコンサート。
何度もいっていたが、
日によっては、
「今日はとても演奏とか、聴く気分じゃないな」
ということも少なからずあった。


しかし。


それでもクラスタにいって演奏を
聴いているうち、そんな悩みが
融解して、どうでもよいくらい
軽くしてくれる演奏があった。


これが、説明が難しいのだが、
「うまい演奏」
というわけではない。


「本当に楽しそうな演奏」
というやつなのだが、
これが、なんとも説明がしにくい。


自分として、
「演奏者との境目がなくなって
 しまうような感覚」
なのだが、
そういうのは、説明できないな、
と思っていた。


しかし、先日のテレビで
「右脳だけ」になってしまうと、
自分の体が液体みたいになってしまって、
外界との境目がわからなくなったそうだ。


その感覚が
「涅槃」と表現していたが、
「すごく幸福」「心配がなにもない」
状態だったとのこと。


自分が「説明できない」
と思っていた、あの感覚と
同じなのではなかろうか・・・


一方、ものすごく上手なのだが、
「まるで説明を聞いている様な」
演奏では、まったくそういった
感覚が生じない。
(ただ、突き抜けてうまいと、
  「爽快感」みたいな気分のよさがあるが)



前者が、右脳での演奏、
後者が左脳での演奏なのかもしれない。



で・・・だ。



ギター演奏は、「演奏を覚える」「演奏を勉強する」
という状況が必ずあって、
これは、左脳でやっているに違いない。


一方、演奏技術とかいうのは、まったく気にせず、
楽しむだけ、として弾いているとき、
「自分で弾いている感覚が小さくなっていく感じ」
  (聞き手としての自分だけになる感じ)
になるときがあるのだが、
これが右脳が支配的なとき、
ではなかろうか。



今日チャレンジしたのは、
この
「右脳での演奏を意識下、コントロール下で
  できないだろうか」
ということ。


結果・・・・・



わかりませんでした。


勝手にくるし、
勝手にいなくなる。


そういうもんなんだろうな。




<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20080509
<目に入ったニュース>



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