「よい設計」と「美しい設計」

ふと、考えたことがある。
「美しい設計とは?」

「よい設計」といえば簡単で、
使えてきちんと役にたつものを
作り出す設計が、「よい」設計だ。

一方、「美しい」というのは、判断が難しい。
なにをもって「美しい」とするかは
人それぞれだし、「定義なんてない」
というのが、答えだと思う。

しかし、そうはいっても
「一目見ただけで、すごいと思ってしまう」
ということはある。

機能を満たしているなんてことは当たり前で、
それだけでなく、全体のバランスとか、仕組みとか
「うなってしまうような美しさ」
みたいなやつだ。


それってどんなこと?と、
ずーっと考えていると、
ひとつの答えは、
「それを作り出すのに、いかにたくさんの
 ”ためらい”を経てきたか」
にあるかなと思う。


「これでいいのだろうか」、
「これがベストであろうか」、
「他の手はないのか」、


そういった「ためらい」を
いくつも潜り抜けてしあがったもの、
それを「美しい」と
感じるのではなかろうか。


それで、100点の答えではなかろうか、
あるひとつの答えではあると思う。

多くの検討、なやみを経て、
時間を使って出来上がったものは、
歴史がある。
その歴史がその設計を長くたたせることに
なるのだろう。


そう思って、自分の周りのものを
見回してみる。

そういう「ためらい」とか「時間」
を感じさせるものはあるだろうか。

「高額の楽器」や、
「手工品の高級時計」とか、
「一流の万年筆」
なんてものが、こういうことを思い起こさせて
くれる数少ないものなのかもしれない。
だから、それらのものは、
「常に手元においておきたい物」
「高額を払ってでも手に入れたいもの」
になるのかもしれない。

さて、
自分の設計を省みてみると、
時代はそういうものを、あんまり
必要としていないのかもな・・・
と思う。

昨今めざされてているものは、
「よい設計」であり、
「つかえりゃいい」だ。

「こだわりの設計」なんていって、
時間をかけていると、どんどん
コストはあがっていってしまう。


でも・・・・・


本当にそうなのだろうか。


ひょっとすると、
本当にお客様に喜ばれて、
不適合を出さない設計というのは、
美しさを追っていかねば、
いけないのでは、とも思う。

自分はどれだけ、自分の出力に
こだわりをもっているだろう。


<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20080524
<目に入ったニュース>


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