間の大切さ

子供の舞台を観劇した。
主人公を含め、大人のメインキャストが6,7人、
子供のキャスト(こちらも、メインに劣らず重要キャスト)
が約10人、「家族向けミュージカル」といっていいだろう
舞台だ。
脚本、演出ともコミカルで、素直に面白かったし、楽しかった。
1公演3時間を2回みた。
2回というのは、主役の大人を除く
子供たちが2グループに分かれていて、
その2つのグループの公演を1回ずつみたのだ。


それにしても、演じる人
がかわると(かわるのは子供たちだけなのだが)、
これほどまで、雰囲気が変わって、
舞台が違って見えるのか!
ということを感じた。


同じ脚本(アドリブは許されているものの)
なのに、客からの”受け”をとれる場所まで、変わってしまう。


自分が思うに、これは”間”の使い方、つかみ方
のよしあしだ。

いい間があると、
それが動作にしろ、せりふにしろ
見ているほうは、
「次はこれかな、いやこうなるのかな、」
と想像が膨らむ。
この想像のふくらみをまって、次に移っていくと、
「ほうらね、やっぱり!」
であっても、
「えっ、そういくの!?」
であっても、観客は
合点がいく状況になり、みてて
楽しいのだ。


しかし、演技しているほうは、
「次」を知っている。
だから、どうしても
間が小さくなりがちだ。
そうなるとよくない。
「間が抜けた」
とはよくいったもので、
笑うタイミングを逸しながら
劇が進行していくこととなる。


子供がいっていた。
劇の先生から、
「観に来る人は、それがはじめてなんだからね」
といわれたそうだ。
マイルスデイビス
マクラフリンに、
「初めてギターを弾いたように弾け!!」
といったとある。


観ている人、聴いている人の
想像力のふくらみを許し、
あるときは、納得を
またあるときは、サプライズを与えられる
ような上手な間がもてるように
なりたいものだ。


そういったことに
思いがいたった。


自分のギターも、いい間を持った演奏を
したいものだ。
(MCも)


PS
自分の子供の演技はなかなかよかった。
(親ばか・・・・)
ということで、
明日が千秋楽なので、明日も観にいく予定。