舞台観劇3

3日目、楽日だ。
一昨日、昨日と1回ずつみていて
今日で3回目だが、全く
「飽きてしまった」
という感はない。


自分は相当飽きっぽい性格なのに
なぜだろう?


1つは、昨日書いたように、
「舞台が育つ」
というか、変化していくのが
結構面白いということがある。
しかし、
「それだけではない」
という気持ちがあった。
なんか、もっと続けてみても
みれそうだな、
という感じがあったのだ。


自分は、最初それは、自分の子供が
でているから、それを見るのが
うれしいのだろう、
と思っていた。
でも、
よくよく自分自身を振り返ってみて、
そうではないということに気が付いた。


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今回の舞台のテーマは「戦争」。
舞台を見る前、自分は子供からそう聞いて、
不安を覚えた。
「戦争はダメだ」、「戦争は悲しい」、「犠牲者は弱者だ」
「戦争は・・・」
といったような「戦争論」があるが、
実際はそんなに単純なものではなく、
そういうイデオロギー的なことを舞台に
すれば、”陳腐なもの”になってしまうのは
あきらかと思えたからだ。
・・・不安・・・


でも一方、
脚本兼演出のTKさんは、
「そんなことは百も承知
 なのだろうけどな・・・」
という気持ちもあった。


そうして、今回の舞台をみたわけだが、
まさしく自分が不安と思っていた、
「戦争は・・・」
のことをいっているような舞台なのだが、
「予想していたつまらないもの」
に、なっていなかった。
むしろ、もっと見たいな、という気持ちが
自分に生まれてた。
(以上のことから、「子供が原因かな」
 と思っていたのだ)


でも気が付いた。
自分がみて、そして、もっとみたい
と思ったのは、、
「戦争に対するイデオロギー
などではなく、
「戦争という環境におかれた
 愛すべきキャラクターたち」
だ。


楽天家で気は強いけど、掃除も洗濯も
 なんにもできないメイド」
「弱虫で戦争が嫌いで、武器の開発に尽力して
 戦場行きを免除されている、
 悲しいくらい上司になにもいえない
 本当は画家になりたい兵士」
「子供が行方不明でなんとかしたいのだが、
 なんにもできないで「飲み屋の店主」
 でいきていくしかない女主人」
こういった大人たちに、
「(現実にはとおらない)
 純粋な正義感をもった少年(本当は少女だが)」
「天国の純粋さと現実の悲しさをみてきた子供達」


こういったキャラクターが、
「戦争」という環境で、それぞれの
台詞を発していく。。


別に戦争でなくてもよかったのだろうと思う。


画家になりたい兵士は、
本当は趣味に生きたいけど、
上司にいじめられているサラリーマン
そのものだし、
女主人は、やむなく悲惨な家庭となってしまったが、
その環境からどうにも動けない女性とみることもできる。
何もできないメイドは
何も技術をもてていないフリーターみたいな
もんだろう。


でも、大変だったろうと思う。
こういう舞台だから、
脚本は役者が決まってから頑張ったらしいし、
役者は無意識にそこまで
なりきらないと、舞台として立ち上がって
こなかっただろうから。


改めて、脚本・演出のTKさん、
役者の方々に
ありがとうといいたい。


舞台公演後の打ち上げにも
同席させていただいた。


役者さんは
役のキャラクターにかぶって
みえる方が多く、いい人ばかりだ。



最後のあいさつでTKさんがいった。
「戦争はいやなものだから、
 大人はちゃんとしてかなくちゃね。」
自分には、
「それを乗り越えていくのは、
 人間性というかキャラクターだろう!」
という言葉が聞こえた気がした。


ありがとうございます。


PS
打ち上げでは、
かわいい少女役のウチの子と、
正義感の強い少年役(実は少女)の子が
それぞれの衣装を交換して
現れた。
これが実によかった。
それぞれ、お互い相手役が自分の
性格にはあっているかも、
という気持ちがあって、
やってみたくて仕方なかったらしい。
「いい絵」でした。


<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20060212