環境音楽、BGM

環境音楽
自分はエリックサティを嫌いではないが、
”なんとなく聴かせる”という音楽、
BGMというのだろうか、
そういうものは、あまり好きではない。
聴きたくない場では、
なにも音はなっていないほうがいいし、
聴きたいと思ったとき、聴きたい音楽を聴きたい。
一番邪魔なのは、美術館などで
音楽がかかっているケースだろう。
これは、そういう文句が多くでたこともあり、
いまや少ないとは思うが。

それでは、
「BGMっていうのは、本当に不要なもので、ないのが一番いいのだ」
という意見かというとそうでもない。
むしろBGMというのも大事だと思っている。
現実にBGMというものは、
すごく巷の状況として必要とされているのが現実だから、
気にかけてみると、
なるほど
と思う使われ方がされていることに気づく。


どういうところでBGMは必要か?
まず、一言で簡単にいうと、会話を気楽にしたいところでだ。
一番会話がしにくい状況とは、音が全く無く、
不特定多数の人が廻りにいるような状況だろう。
仮に、周りの人もおしゃべりしてて、
自分がしゃべることに抵抗ない状況であっても、
ふと沈黙が訪れると話にくくなってしまう。
こんなとき人のおしゃべりの邪魔にならないような
音楽が流れていると、
会話はとたんにしやすくなる。
こういった必要性からBGMを評価していくと、
それはそれで面白い。


最もわかりやすいのは喫茶店だろう。
いい喫茶店の大事な条件のひとつは
「なにをBGMでかけているか、どれくらいの音量か」
だ。なにしろジャズ喫茶はこれだけで、飯を食べていたくらいだ。
しかし、今は時代が変わって、
ジャズを聴かせることでお客を呼べるような時代ではない。
だから、喫茶店に必要な音楽とは、
おしゃべりの邪魔をせず、
かつおしゃべりは弾みそうな音楽なのだ。
一段と難しい・・・。


自分にとって、誰かとおしゃべりするにしろ、
一人で考え事や読書するにしろ、集中できる喫茶店は、
どうでもいい音楽が流れていて、
意味がわからないおしゃべりがあふれているといった感じだ。
逆に最悪のBGMは、テレビやラジオ音。
”気になってしまう音楽、映像”がかかっている状況だ。
落ち着いて自分の時間を持つことが難しくなってしまう。
このところ、仕事と家庭で忙しくて、
”休日にほっとできるような喫茶店
を探せる状況にないが、
今後、そういうところを探す余裕ができたら、
是非ともゆっくりBGMについて気にかけてみたい。