透明な音楽 

目立たないことを目的とした(という言い方でいいのか、よくわからないが)音楽、BMGについて書いたが、音楽自体も重要なポジションを占めるBGMというのもある。強制的にある雰囲気を作るためのBGMだ。
例えば小学校の運動会では、演歌はまず間違ってもかかったりはしない。元気がでたり、急ぎたくなるような音楽がBGMとしてかかる。
遊園地でも、マイナー長のクラシックなどというのは間違ってもかからない。楽しい音楽が流れている。
さらに、これの高度なもの、プロとしての対応が求められるのが「映画やテレビでの映像音楽」、「ゲームミュージック」といったものだろう。
音楽には場の雰囲気をつくる力があるが、これを積極的に活用し、もっともその場にあった雰囲気を演出する。音楽家としてはやりがいのある仕事だろう。
日本の映画音楽の第一人者といって差し支えないであろう久石譲氏は、
「今の世にモーツアルトやベートーベンがいたら、間違いなく映画音楽をやっている」
といっている。難しくてやりがいがある仕事なのだ。
映画音楽については、以前(相当昔)ジャズライフかなんかに載っていたパットメセニーのインタビューが面白かった。
「映画音楽は映像に本当にぴったりになると、音楽自体が映像と溶け合ってしまって、音楽自体が流れていること自体気が付かないようになる。自分のグループの音楽とは全く違う世界だ。」
よくわかる。あえていうと「透明な音楽」とでもなろう。パットメセニーを始めとする映画音楽の制作家は、この透明度を狙ってつくるのだからすごい。
同じように、ゲーム音楽では、ドラゴンクエストが好きだ。映画音楽と同じで、とっても悲しい場面や、いやな場面、おどろおどろしい場面など、実にその場面にあった音楽が作られていて感心する。こちらの方は、映像はパターン化されてなんども繰り返しとなるので、音楽も繰り返し聞かれることになる。だから商品全体として音楽の占める比重は相当大きい。「ワンパターンでありながら、飽きのこない」ものでなくてはならないのだ。ドラクエがあの音楽でなかったら、これほどのヒットになっていただろうか。すぎやまこういち氏は本当にすばらしい才能だ。
ドラクエ以外にも氏の作品は大好きで、ガロの学生街の喫茶店あり、大井競馬場のファンファーレや、テレビでは、帰ってきたウルトラマンの主題歌もそうだ。どの作品も大好きだ。
こういった音楽は本当に「プロの仕事」の領域なのだろうが、アマチュアである自分として参考になるのは、いろんな気持ち、場面を表現する音楽についてだ。
普通、音楽を趣味にしていると、作りたい音楽はハッピーなものが多い。ジャズサックスプレイヤーの渡辺貞夫氏は
「僕は悲しい音楽は作りたくない。聴いている人がハッピーになれるようにと思ってやってるから。」
と言っている。まったくもって同感で、加えて自分としては「聴いている人が」というのに「演奏している自分も」と付け加えたい。
しかし、映画やゲームはハッピーな場面だけではない。ドラクエでは洞窟に入ったり、悲しい展開になったりももちろんする。そしてそのとき、その場面にぴったりの音楽が流れていることで、本当にゲームに引き込まれる。
映画はもっと複雑だ。単純に楽しいとか、悲しいとかいっただけでない心象をも含んだ場面を映像と共に創り上げていく。ある意味、単純な音楽のみでの表現より、ずっと高度な(という言い方がいいかわからないが)音楽的感性が必要であろう。
ドラクエや映画音楽、また演劇などの音楽を聴くと、こういったありとあらゆる世界観を音楽で表すことに対するあこがれというか、尊敬みたいなものを感じる。
音楽においては、この手の仕事が一番プロらしい仕事かもしれない。仕事を持っている自分としては、この手のものにチャレンジするのはちょっと無理だろうが、これらも音楽として楽しめる感性はなくさないでいよう。