テレビがない生活が4月から続いている。
それ自体は、まったく問題ないのだが、
それがなくなってみて、
「テレビの時間」というのを再認識している。
自分はテレビの時間がなくなれば、
ギターの弾く時間が増えたり、ブログ書く時間が
増えるだろう、と単純な予測をしていた。
しかし、現実はそうなっておらず、
スマホで、ネットサーフィン的な時間が
増えてしまっている気がする。
というのは、夜、時間があるとき、
時間はあるのだが、気力(精神的エネルギー)の方が、
あまり残っていない。
ギター演奏とか、ブログ書きというのは、
時間があればできるのか、というと
そうではなくて、自分の精神エネルギーが
相応に残っていないとできないものなのだ、と理解。
(ギターの方は、精神安定剤的な面もあるので、
違う面もあるのだが、それはここでは、別として)
テレビというのは、
「あまり考えることなく、なんとなく過ごすときのお供」
として、優秀な道具なのだな、と改めて認識。
なお、ネットサーフィンは、
テレビより、いろいろ探す手間が必要であり、
「自分が探す」というフィルター故、マンネリにも
なりやすい。
テレビというポジションは、これはこれで
なくならないのでは、と改めて思った。