オリンピックで応援をすることで、
「共感すること」
は、人間の基本的な満足に直結しているのだな、と自覚。
本当にうれしいし、本当に悔しい。
で、それで十分生活の質が
あがったような気持ちを得られる。
で、この共感力が強いというのは、
そのまま、人間力が強い、ことなのかも
と思う。
スポーツがうまくなることは、
心理面を含めて、誰かをコピーすることが
うまいかどうか、だと思う。
とすれば、共感力が強いやつほど
上手になれそうに思える。
(まあ、下手なやつに共感しまくれば、
逆だから、そこまではいえないか・・とは思うが)
また、
「応援を力にしました」
として、とんでもない力を
出せる方もいる。
これも共感力だろう。
で、考えてみると、
「共感をなにかにいかしていく」
ではなくて、
「共感こそが、人間が満足する元、そのものなのではないか」
と思えるようになった。
で、そう思った方が、
世の中よくなりそうな気もする。
<過去の今日>
「左脚復調」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20150817
「キンドルが来た」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20140817
「横浜市バスフリー切符」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20130817
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