スポーツ選手の存在意義

スポーツ選手が、
「自分は社会の役にたっているのだろうか、と時々考える」
といったような記事を時々目にする。
3.11以降、更によく見かけるようになった気がする。


自分としては、
「間違いなく役に立っていると思うよ」
と答えたい。


ビールは社会に必要か?
といえば、水があれば人間は生きていける。
わざわざビールにしなくてもよい。
水から(それ以外の材料も加えて)ビールを
作るのに、どれだけ労力とエネルギーが必要か・・・


という背景があっても、
それでも、ビールは社会の役にたっていると思う。


みんなで楽しいひと時をおくるとき
自分で頑張ったな、と満足感に浸るとき
一杯のビールは、その時間を輝かしいものに
してくれる。


ほんとうに、
「人間として生きるのに必要なもの
  だけが、役に立つもの」
としてしまったら、かなりの仕事が
(もしくは、仕事のなかの部分が)
必要なし、と判断されると思う。


ビールも、たばこも、競馬も
テレビゲームも、ボーリング場も
ランニングも、スポーツも・・・・
もちろん、芸術はすべてかもしれない。


そんな世の中ではつまらない。


自分にとって、
スポーツ選手は、ビール以上に、
「清涼感」だったり、
「感動」だったり、いろいろなものを
感じさせてくれる。


スポーツ選手の存在意義は、
大変大きいと思う。


<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20120627

<目に入ったニュース>

><