コネの役割

・教員採用汚職:不正合格は解雇、本来合格を救済へ 大分


とのことだが、解雇される方、
また、本来合格するところをできなかった方、
いずれにしろ大変な問題だ。
特に本件に関わってしまった方は、
どんな関わり方にしろ不幸だ。


このようなことが二度と起こらない社会にしたいと思う。


さて、本件は、
「コネのずるさ、まずさ」
といったことがクローズアップされる
ことになろう。きっとその手の記事や
ブログ感想がたくさんでてきているだろう。


では・・・
と自分は天邪鬼に
「コネの必要性とは?」
ということを考えてみる。


「コネで得られるものは?」
というと、
「試験の点数ではわからない、
 その人の背景、人間関係」
「または、それに値する人的バック」
といったことになろうか。


今回は先生であったが、
先生という職業は特に、
「人間的、性格的に、そして思想的に
 先生にそぐわない方をみなければ」
というニーズがあると思う。


もちろん「思想の自由」は大事であることは
当然だが、教育と自分の思想を
きちんとわけて考えている方でないと
先生とするのに怖さを感じてしまうのは、
自分だけではないだろうと思う。


こういったものは、
「試験の点数」
では測れない。


廻りの人間関係から掴むしかない。
具体的には履歴書と面接となるだろうが、
そんなものではわからないので、
「コネ」が重要な判断要素になってしまう
こともあろうかと思う。


そう思ったので、
「正々堂々とルールに従ったコネ」
というのができないかと
考えてしまった。


つまり、
「この受験生は、人間的に、悪くない人間です」
と宣言してくれる人からの
一筆を経歴書に必ず
3人とか5人とかから(しかも親ではなく)書いてもらう。


そして、
そのうち1名は、自分の学校の先生を
入れる。


というのはどうだろう。


人から一筆いただくのは、
普段から、きちんとしていないと、
いけない。


また、一筆書くほうも、
「こいつは、まともな教師にはなれない」
と思えば、一筆かけないだろう。
書いた当人が、先生になってから、
「先生失格」
となれば、書いた方だって
「人をみる目がなかった」
ということになる。


そういうルールで、
「とにかく、人格的には大丈夫
 (と推している方がちゃんといる)」
という方々で、
あとは公正に試験にて合否を決める。



以上、
なぜコネというのが広がっていて、
しかもそれが継続されるような状況だったのか?
ということから、
「コネには大事な側面もあるはず」
と思って書いてみた。



こんなことを思いながら、
テレビをみてたら、
宮崎県が入札公正化、厳密化を
ガンガン推し進めたら、
入札会社は倒産するし、結果工事は
遅れるしで散々とのこと。
「談合は絶対駄目!」
としてしまうことで、
「きちんとした話し合いによる技術評価」
までつぶしてしまっているのではないか?


コネ、とか談合、とか
きちんとなぜ必要であったのか、
ということも考えないと、
「本当に大事なこと」
「日本の社会がもっているよさ」
といったものをつぶしてしまいそうな
気がする。


<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20070716
<目に入ったニュース>
出張中



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