「普通さ」をどう思うか

趣味のギターは、ここ1ヶ月
「自分で好きな曲をアレンジする」
というのを取り組んでいる。
先月、クラスタのフリーコンサートで
ゴダイゴのビューティフルネームを
自分でアレンジして、それを演奏したのだが、
その流れを続けているということだ。


いつもの
「市販のソロギター集(TAB譜集)からの演奏」
「オリジナルの演奏」
というのから、ちょっと離れた感じだ。


で、その編曲なのだが、
選んでいるのは、ゴダイゴの例と同様、
昔いいなあと思った曲を
選んでいる。それを自分の場合、
ギター譜演奏ソフトを使って
「聴いては直し、聴いては直し」
で、ゆっくり編曲していくのだが、
直していくに従い、
おそらく
「セオリーに近づいている」
ということなのだろうと思うが、
「普通の感じ」
に近づいていく。


メロディーとコードが決まっているのだから、
「指使いがしやすくて、音色としても素直」
となれば、大体誰がやっても同じようなところが
着地点となるのかもしれない。


このとき、2つの考えというか、感情というか、
が生じた。


ひとつは、
「自分が編曲する理由はないかもな」
ということ。
同曲を編曲されている譜面を見つければ、
そっちの方が手っ取り早いや
と思ってしまったりした。
「自分なりの編曲」
なんてものができるほど、
自分は特異な才能はもっていないことを
感じる、という言い方もできるかもしれない。


もうひとつは、
「普通、普遍に近づくことは美しいことではないか」
ということ。
そもそも「オリジナリティ」なんてものは、
厳密にいえば存在しない。
簡単に弾けて、美しく響けくように
なっていくことは極めて自然だろう。
「音楽」自体人類の共有財産だと思ってるし。



以上、最初前者の感想が湧き出て、
その後後者の考えがでてきた。


結論。


楽しければいいや。


<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20070717
<目に入ったニュース>
・日本人選手の米大リーグ移籍に道筋をつけ、日米通算201勝を挙げた元大リーガーの野茂英雄投手(39)が17日、現役引退することを明らかにした。同日、自身の公式ホームページで表明した。
(お疲れ様でした。野茂さんは、自分にとっては「ザ・パイオニア」です。)


><