写真と日記と和歌

そのときのことを
記録するということにおいて
写真というのはすばらしい。
ある一瞬の視覚情報をそのままパッケージしてくれる。


それをみることで、いろいろ
そのときのことが思い出されて
懐かしくなったり、楽しい気持ちになったりする。


過去の日記を読んでみて、
この、過去の写真をみるとの
似たような気分になった。


昔の人も同じ気持ちに
なったのかな、などと思いながら、
写真という技術が無かったとき
はどうだったのだろう、
と考えた。


和歌は、写真みたいな役割だったろうと思う。


「いまこの気持ちをパッケージしておきたい」
という気持ちから、一番しっくりくる
言葉を選んで和歌として仕上げる。
「作る」
という能動的なアクションを伴うから、
あまり苦労のいらない写真以上に
「そのときのこと」
を思い出すことができるものなのかも
しれない。


なんてことを考えていたら、
自分も和歌とか俳句とかつくってみたく
なった。


でも、ブログで公開するほどの
度胸はない。


<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20051101
かわらない自分を感じる。


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