”最も自然”を意識する

このところのギターだが、
柄にも無くといっていい、
バッハの曲を黙々と弾いている。
(1)独学なので、正しいテンポ、正しい指使い、
 正しいアーティキュレーションなど
 全く気にせず。
だけど、
(2)市販の雑誌のTAB譜どおりに弾いている。
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(1)はともかく、(2)は
自分の状況としては珍しい。
大体、市販のTAB譜を楽しむときは、
同じ曲は2回と続けず違う曲を弾きまわして
また、けっこう好き勝手に途中変奏して
いくのが自分のスタイルなのだが・・・・。
ここ2週間くらい、バッハの3曲に絞り、
それを当たり前に弾くことで
楽しめているのだ。
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自分がそういう時期なのだろう。
”そういう”というのは、
”最も自然な感じのものを弾きたい”
といったこと。
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こっから以下は、自分の個人的考えです。・・・・・
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バッハはとにかく分かりやすい。
”人間を快くさせるために理詰めでつくるとこうなる”
といった感じがする。
もしくは、
”神様から頂いた曲”
音楽理論的な確実性と音楽の理想的な不確実性を
 両面をバランスよくつかまえた曲”
とか、そんな言い方だろうか・・・・。

音楽的に、全く逆なのが、
現代音楽。聴くのも大変だが、弾くのはもっと大変。
だけど、”すっげえおもしれええええ”
という瞬間があったりもする。
(自分は聴くだけだが・・・。また久しく聴いてないが)
またどフリーのジャズ。
曲のなかの歌の発展を目指したジャズが、
今度は、どこまで歌から離れようかといった
ことを目指しているような状況になったものや、
歌の端々にある、アーティキュレーション上の
ひらめきだけをデフォルメしたやつとか・・・。


こんなことを考えていて思った。
現代音楽や、どフリーのジャズは、
逆に一番クラシック、とか、一番ポピュラー
もやらないとできないのではと。
白がわからんと、黒もわからんというか・・・・。

でも、普通の感性では、
一番クラシックとか、一番ポピュラーは、
現代音楽や、どフリーより、ずっと分かりやすい。
でも、現代音楽とかフリーにいくには、
この一番クラシックとか、一番ポピュラーを
やりつくして退屈してしまうこと、
もしくは、
それらをホームポジションとして内包して
しまうことが前提として必要なのではなかろうか。


なんてことを、頭の理屈を考える
ところで、勝手に考えてしまった。


まあ、どうでもいいや。
いまバッハ弾くのがとりあえず楽しいのだ。