奏法・スタイルを考える

会社が忙しかったこと(帰りが遅かった)、および疲れ気味でちょっと頭が痛かったので早く寝る。従い、ギターは触った程度。本当はギターの弦交換をしたいのだが・・・
昨日、新しい音楽聴きたいなと書いたが、クラスタフリコンにいって感じたのは、演奏スタイルというのは、本当にいろいろあるな、ということだ。同じギターという楽器なのだが、これほど違うものか!と驚くほど、いろいろなスタイルがある。かつ、同じスタイル、たとえば、今回のクラスタではフラメンコの方が3人いたのだが、その3人もやはり相当違う。
当たり前の感想だが、演奏イコールまさにその人の趣向・性格なのだ。
で、じゃあ自分は?というと、なんと節操のないことか。
「毎回できるだけ違う曲をやっていきたい」という漠然とした欲求に加え、ボーカル曲の編曲が好き、映画音楽のアレンジ、オリジナル曲、ギタリストのコピー(今回はトミーエマニュエルをやった)果ては演歌といった趣向の雑食性が加わり、本当に雑多。クラスタで自分の演奏聴いた人は、毎回まったく違う印象を持たれるかもしれない。・・
これが可能な理由のひとつには、市販されるTAB譜が相当量あって、お手軽にそのアレンジを拝借可能となったことがあるが、それにしても節操ないなと思う。
クラスタで心ある人はアドバイスとして、「もう少し曲絞ったら」といってくれる人もいる。
このアドバイスは裏返すと、「もっと上手に弾けるよ(今回はいまいちだったけどね)」ということで、反省しきりなのだが・・・。
自分のポリシーとして、「曲に飽きた演奏をしたくない」ということがある。これが大きくてこのようになってしまう。
だから、「これでいいのだ!!」と納得してやっていくしかない。
一方、この納得と反対方向かもしれないのだが、「自分のスタイルがほしい」との欲求もある。これはミュージシャンなら誰でも持つだろう。
昔々、FPの大御所の中川イサトさんの話。
ステファングロスマン(米国のFPの大御所)の前で、「オレンジ」というラグスタイルの曲を弾いたが、まったく興味を持ってもらえなかった。その後、「きつねの嫁入り」という和風テイストの曲を弾いたら、真剣にきいてくれた。という話から、自分の中にある日本人としてのテイストを出していくことを追い求めている・・・
すごくよくわかる。
ということで自問することになる。自分はなにを求めているの?
その答えを考えることも楽しいから、「これでいいのだ」