ヒストリーまで聴きたい

演奏を聴くとき、自分はその方が「ご自宅で一人で弾いているときの姿」を想像する。単なる気持ちの持ち方なのだが、そうすると、その方がどんなふうに弾きたいのかが、より集中して聴けるような気がするのだ。
絵をみるときも、ときどきそのような見方をしてしまうときがある。絵を書いているときの過程に思いを馳せるときがあるのだ。
演奏を練習しているとき、絵を書いているとき、その方はとても楽しい気分や表現に対する葛藤など様々なことを経験していると思う。「そこまで聞こえないだろうか、聴きたい」という気持ちがある。その様々なこだわりの結果といて、今聴いている音があるはずなのだ。

先日吉祥寺の「ジブリ博物館」にいってきた。風の谷のナウシカをはじめとする、宮崎駿監督映画の博物館だ。子供向けかと思っていて、子供と家内への家族サービスのためにいったのだが、自分も十分楽しめた。
特に自分が興味を持ったのは、監督の構想を練るデスク、美術取りまとめの方のデスク、それからスタッフの作業環境などを実物の模擬をみせてくれている空間だ。  
映画は、最初は一人の監督の頭の中から生まれてくる。そこからとんでもなく大変な工程を経て作品となる。この空間の紹介では、そのことを「大きな船に乗っている仲間」と説明がなされていた。船は常に進んでいないと目的地にいけないこととなり、そうなると沈没してしまうという。だからなんとしてでも進んでいくしかないと。それが映画とプロジェクトを完成させることだ、と説明してあった。
宮崎映画自体、すばらしいものだが、そのすばらしいのを生み出す途中のヒストリーは、きっと本当に厳しく楽しい過程があったに違いない。そんなことに思いを馳せることができた。