鑑賞することも芸術だ。 

江戸時代においても、河原者と言われはしても、河原者はちゃんと河原者として認められていた。芸術は必要だという認識はあったのだと思う。
今も同様だろう。明日から、
「野球はお金がないので、禁止とします。イチローはもうみられません」
などということが発生すると、自分はとってもさびしくなって、
「野球税を作ってでも、野球を続けよう」
などと言い出してしまうかもしれない。自分でできなくても、社会として一番美しいシンボルとして芸術を持つことが、その時代の文化として豊かだし楽しい。
芸術をリスペクトしている社会の方が自分は好きだ。心の健康はお坊さんと河原者が頑張るのだ。社会は、いろいろな人がお互いに持ちつ持たれつであるが、芸術家が頑張れる社会のほうが、ずっと豊かな社会であろう。