芸術するのが人間 

自分は、「芸術があるからこそ人間」と思っている。
芸術ってそもそも無駄なものだと思うが、無駄無くしては、人間が人間らしくない。「無駄なところを一切ほしがらないこと、イコール野生」であって、犬や猫や野生の動物は「楽しいから獲物をいっぱいとろう」なんてことはしない。
しかし人間はやってしまう。
生活一般において、好き嫌いでいろいろやってしまうのが人間で、だからこそ人間なのだと思う。もし、それが許されないのであれば、きっとつまらない人生と感じるだろう。そういう意味で、自分としては、
「芸術も生きるためには必要だ」
と言い切ってみたいのだ。芸術は、
「生活に直接必要はないけど、ないと心が貧しくなってしまうもの」
といえばいいのかもしれない。
「なんのために仕事をするの?」
と聞かれれば、まず
「家族の笑顔のため」
そして、その次に、
「少しでもいい暮らし」
とかいう答えになると思う。

ここで「いい暮らし」とはなにか。
なるべく一般的にあてはまる言い方をしようとすると、「少しでも、目や耳や体が気持ちいいことができる生活」とかいえると思う。それでは、なにをもって気持ちいいのだろうか・・・この「気持ちいい」をなんらか五感で感じられるものとしてみせてくれるものが、芸術なのではと自分は思っている。つまり本当に根源的な芸術とは、『生きる意欲の目標とか、シンボルとかを感じさせてくれるもの』といえるものと思っている。だから、イチローや松井は自分にとってはとても大切だ。観ているだけで元気になる。すばらしい絵画もそうだし、音楽もそうだ。それに接していると生活が豊かになった気がするもの。
ただ生きるに必要なものだけで生活していくのは、考え方としては「清貧」といって尊ぶ考え方もあるが、人間はそれだけでは生きられないと思う。死んでるみたいに生きてもしょうがない。「芸術も生きるために必要」そう思う。