「当たり前のことを当たり前にすることが難しい」
といった言葉を聞いたことがある。
実際、会社の仕事でも、散々議論を重ねて
出したアウトプットが、
「当たり前の内容」
ということがある。
注意せねばならないのは、
「なぜ散々議論してしまったのか」
ということにあるのだと思う。
「みんなが当たり前と思っていること」
は、その字面の意味からすると、
「みんなが議論の必要はないと思っていること」
ということであり、
「散々議論すること」
とは最も遠い位置にあるものだ。
ということは、
「みんなが当たり前と思っていないこと」
が、この議論の中にあって、それこそが、
「見出すべきもの」のはず。
それをなんらか書き留めておかないと、
「当たり前の結論のための、
散々議論する時間」
が繰り返されることになってしまう。
「散々議論することが必要になった、本当の理由は?」