落語とギター

落語とクラシックギター
いずれも、すでに出来上がった話、曲を
繰り返している。


噺の筋が面白い、というのは、一面に過ぎない。
なにしろ、何十年も同じ噺でもたのしめているのだから。


「上手な噺」は、何度聞いても
面白く聞けるし、
「上手い演奏」は、何度聞いても
飽きが来ない。


何を聞いているのだろう。


この夏、かなりの日数長崎出張があり、
サイレントギターを持ち込んで
部屋で弾いていたが、
疲れてホテルに帰ったとき、
新しい曲は弾かない、というか、弾けない。
毎日、同じようなものを弾いている。


じゃあ、つまらないか、といえば
そんなことはなく、楽しめている。


何を楽しんでいるのだろう。



落語は日本語なので、聞いているほうも
「自分でできる技術」
の芸を聞いていることになる。


呼吸、声の質、話の間、いろいろなものが
ひとつとなって、「引き込まれる」
状態になる。


これはギターでいうと、
「誰にでもできる曲を、飽きのこないように聞かせる」
ということかなと思う。

これは、どんな演奏なのだろうか。


そんなことを思いながら、夜のギターを
楽しんでいる。


<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20111114
<目に入ったニュース>

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