にぶさの功罪

自分の邪悪であるということを
十分自覚している人の方が、
そうでない人より危なくない。


これはあたっていると思う。


誰だって、邪悪な面、心というのはある。
それをきちんと、ある、と
認識していると、
こういうときに自分は危ない
と思えるし、
その危なさをイメージできる
ということは、事前にそれを
想定し、悪い状況となることを
避けることができるということだ。


全く自分の邪悪さに気付いていない
邪悪な人、というのが本質的に
危ない人といえると思う。


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で、
「邪悪さ」
とかでなく、他の一般的な
性格面といったところにおいては、
どれくらい自覚的であるべき
なのだろうか。


自分は、ある意味、非常ににぶい
と人からいわれる。


・見てくれを気にしない。
・ごく一部の大好きな道具以外、
 持ち物に頓着しない。
・お人よし。
等々、
敏感、鈍感という範疇でいくと
必ず鈍感というほうに評価されるし、
「神経細かすぎ」
といわれたことは無いが、
「デリカシーがない」
とはいわれてしまうことがある。


こういったものについても、
「自覚的であること」
の方が、よいのだろうか・・・


そして、そういうことは
可能なのだろうか。


おそらくこういう性格の部分は、
自覚的になりえないから、
そうなっているのだという気がする。


他の方からはよくみえて、
自分にはみえない、
というか・・・・


深層意識のところではあるのだろうが、
本人には、みえない、語りえない
というか・・・・


だからもし、
そういったところを直すとすれば、
他の意識付け、意味づけによって、
学習的に獲得していく
しかないのだろうが、


それは、自分にとって
本当に必要なのだろうか?


そのにぶさゆえ、
ストレスに強くいられるとか、
いい面もあるのではないだろうか・・・



そんなことを考えた。


たまに、必要かなと思った。



<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20071201
<目に入ったニュース>
出張中で時間なし。


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