「手書き趣向」+「キーボード入力趣向」

自分は手書きで書くのが好きだ。
理由はいくつかあって、
一つは、日本語、
すなわち、漢字、ひらがな、かたかな
が美しいと思うから。
日本語って、本当にビジュアル的に
優れていると思う。
なので、その美しい字を
描く感じが大好きなのだ。
(字のうまい下手ではありません。
 自分は相当乱筆です・・・悲)


次に
手書きは、いかにも”自分”
を表す(現す?)から好きだ。
字の意味自体に加え、
”そのときの状態”
まで表れてしまう。

そういったことを芸術にしたのが
書道だろう。

ということで、
手書きが好きなのだが、
一方、
キーボードによる記載は、
嫌いではないが、手書きほど、
”趣向”でなかった。
もちろん、自分は会社で使わなくては
ならないこともあり、ブラインドタッチを
習得しており、はっきりいって、
手書きの何倍も速い。
また、
文脈の修正については、
(いったん紙に打ち出して修正を
 するにしても)
手書きの何倍も速い。
だから、便利さから言うと比べ物に
ならないのだが、
それでも先の理由から、
”手書き趣向”なのだ。


しかしこのところ、
このキーボードでの日本語作成も
手書きと同じくらい好きになった。
(のを自覚した。)

というのは、、
自分の書いたものは自分の分身、かつ、
自分の鏡であると自覚するとき、愛着がわく。
(手書きの好きな理由の再認識)
しかし、
キーボードでの文書は、打った瞬間、
文字は、本の中の”一般の”文字と変わらない。
簡単に表現すると、
「かわいくなかった」のだ。

それが、ブログで毎日毎日キーボードで
文を書いているうちに、
文自体の自分の特徴に自分で
気づいたのだ。


ときどき読み返してみること、
(書いているときと全く違った人格の
 自分が読んでいるという状況を自覚する)
「これって、おれじゃん!」
と、いうように、
大変くせのある書き方しているものだなあ、
と気づいたのだ。

そうしたら・・・・
自分の文書にちょこっとかわいさを
感じてしまい、そのことから、
キーボードで文書書くことも
好きであると感じたのだ。

すなわち、
”文書を作ること”のなかに
自己表現を自覚できたのだ。


文書書くのが好きな人
(極端な方が作家になる)
って、こういうことを感じているのだ
ろうな。


自分にとって、大変プラスで、
有益な自覚であり出来事だ。

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