「奉納」という考え方

先週福岡にいったとき、「ストリートライブ祭り」
みたいなのがやっていて、博多天神のそこここの街角で
アマチュアミュージシャンが演奏をしていた。


自分もギターを弾くので、やってみたいなあ、
と思う気持ちが生じるのだが、一方において
とてもできないな、ということも感じる。


「俺の音楽を聴いてくれ!!」
みたいな感じで演奏しているのをみると、
自分の年齢とかを思うに、とても
出来ないと思ってしまうのだ。


別にどうでもいいんじゃないか、
という内なる声もあるのだが、
違和感みたいなものがどうしても感じてしまう。
(なので、街角で足を止めて聞き入ることもしにくい)


なんなんだろう・・・


そういう気持ちがずっと続いていた。


さて、長崎はこのところ、
おくんち」の準備で街がにぎやかに
なってきている。
これらも練習のときは、
「ストリートライブ」みたいなものだ。


しかし、こちらは見ていても、
特に「恥ずかしいみたいな聴き難さ」
みたいなものは感じない。


ふと、どうしてだろう、と考えた。
当然ながら「おくんち」の方は
伝統芸能で、自分の才能とかを見せつける
ものではない。
そうではなくて、
「ご先祖様や様々な神様へ感謝して奉納する」、
という感じだ。
自分としては、こういうものの方が
傍からみるには、気が楽に聴ける。


そういえば、江戸時代の旅は、
なんらか、「なんとか参り」
として、
「神様に奉納する旅」
にしたそうだが、これもなんというか
後ろめたさみたいなものが、
減るし、1つでも意味のあることにしよう
(本当は、単なる散財に近いとしても)
ということであったのだろう。


自分の音楽も、
「音楽の神様に奉納する」
くらいの、気持ちで続けていこうと思う。


<過去の今日>
「長崎初日」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20141001
「弦の違いを楽しむ」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20131001

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