わかりやすさの違いは? 

そんななか、フラメンコギターを弾くKさんの演奏が大変聴きやすく、素直に楽しめている。技術的には、他にも上手な方がいるのだが、なにか1音1音クリアに聴こえると感じがした。
なにが違うのだろう・・・・ 
1音1音がクリアに聴こえるのだから、Kさんの演奏能力、特に、右手の撥弦の仕方にあるのかなと思った。Kさんの音は大きい。強く撥弦していることは間違いない。
しかし・・・それだけだろうか、なにかもっと本質的に違うような感じが残っていた。
Kさんもクラスタフリーコンサートの常連さんである。月に1回だがKさんの演奏を楽しみにするようになったこともありすぐに友達になった。そこで、フリーコンサート終了後直接このことを聴いてみた。

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自分
「Kさん、演奏はとても聴きやすいです。今日は3人フラメンコの方がいましたがKさんの演奏が一番聴きやすかったです。演奏上、どんなところを気にしているのですか?」
そうしたところ、思わぬ答えが返ってきた。
Kさん
「フラメンコの演奏は技術的にすごいのですが、そのまま譜面どおりに弾くとほとんど”単調”になってしまい、おそらく聴いている人は飽きてしまうだろうと自分は思っています」
(おっ、自分が聴いていた感じそのものずばりだ!!)
「もちろん演奏技術は、相当高いことをやっているものが多いのですが、でも、それがずっと続くと”単調”になります。つまり、それは逆にどこにも”見せ場”がないのといっしょということです。」
(なるほどなるほど!!)
「僕はそのことを感じるので演奏をアレンジして・・・、つまり・・・聴かせどころではないところを、うまくはしょって、聴きやすくしているんですよ。具体的にはフラメンコのフレーズの音数やフレーズ自体を間引いて、曲をソロ用に構成しなおしています。その曲の一番おいしいところが目立つように、弾いていて面白いと感じるように、曲の構成をしなおしているのです」 
納得である。
自分が聴きやすいなと感じたことは、Kさんが狙ったとおりのものだったのだ。
自分の演奏を客観的に見るのは難しく、また難しいフレーズを弾けるようになったら、それを弾きたくなってしまうだろうに。それから自分はますますKさんの演奏のファンになった。 

この他に、Kさんの演奏は、フレーズの呼吸感というところを特に自分は感じる。演奏がとても気持ちよく聴こえるのだ。そこに気をつけて聴いていたあるときは、「あっ、今日はKさん調子悪いな」と感じることがあった。さすがに、調子いまいちですね、聞くのはなんだったのでご本人のブログにそれとなく書く形で聞いてみた。
自分
「Kさんの演奏はフレーズに大きな区切りというか呼吸感を感じます。自分はそれがとても気持ちがよいのですが、今日はちょっと・・・なんていうか、もうひとつでしたね」
Kさん
「わかりましたか。実は演奏に迷いがあったのです。フラメンコの演奏は速いフレーズが多いのですが、自分はそれを、ある単位でまとめてそれをひとつの呼吸として演奏しています。それが迷いがあると躊躇がでてしまって、うまくできないんですよ」

正確には覚えていないが、このような感じの回答があった。
なるほど、と演奏の深みみたいなところはそういう意識からくるのだなと思った。
この呼吸感というのは、もっと簡単にいうと、その演奏に「歌」を感じることといってもいいと思う。そしてそれが「音楽」していることなのだと思う。
Kさんの演奏は「音楽」しているのだ。

Kさんはちょくちょくフリーコンサートに出演されている。フラメンコのみならず、三味線にもチャレンジし、めきめき腕前をあげていて毎回楽しく聴かせてもらっている。